INDEX

  1. 原点「水泳では誰にも負けたくない」
  2. 高校卒業、東洋大学へ「璃緒(りお)の夢は?」
  3. 2019世界水泳「頑張りたくても頑張れない」初めての体験
  4. トップアスリートの才能「水泳はめちゃめちゃ楽しい」
  5. 好奇心と愛情と、覚悟を持って2020に挑む

INTERVIEWEE

白井 璃緒

SHIRAI Rio

東洋大学 国際観光学部 国際観光学科 2年
水泳部所属

兵庫県立宝塚東高等学校出身。2歳のときからJSS宝塚スイミングスクールで水泳をはじめる。中学3年生のときに全中で優勝。インターハイでは2年連続背泳ぎ2冠を達成。東洋大学1年のときに日本代表に選抜され、パンパシフィック水泳選手権に出場。4×200mリレーのメンバーとして決勝進出を果たし、日本記録をマークして4位入賞。同年アジア大会では同種目で銀メダルを獲得した。2019年4月の全日本選手権では200m自由形、200m背泳ぎの2種目で優勝。同年7月に開催された世界水泳選手権では、200m自由形で決勝8位。4×100mリレーと4×200mリレーでもともに決勝進出を果たし、2020東京オリンピック出場内定を獲得した。2019年11月現在、100m・200m背泳ぎ、200m自由形、200m・400m・800mフリーリレーの6種目で日本ランキング1位(長水路)。2020東京オリンピックに向けて、個人、リレー両種目での活躍が期待されている。

原点「水泳では誰にも負けたくない」



――水泳を始めた頃の記憶はありますか?
「兄弟が全員水泳をやっていたから私も当たり前のように水泳教室に参加したのがきっかけなのですが、自分からやりたいと言った記憶はないんです。でも母に聞いたら、水泳教室に参加したその日に『水泳をやりたい!』と言ったそうです。今思うと、初めて水に触れた感覚が楽しかったのだと思います。」

――では水泳を競技として続けることを意識し始めた頃の記憶はありますか?
「幼稚園の年長で初めて出場したレースで優勝したときに、『楽しい!』と感じたのは覚えています。まわりが喜んでくれるのが嬉しかったのと、自分でも高揚した気分になったのを覚えています。

でも、そのときはまだ遊びの延長線上というか、勝つことを意識していたわけではなく、試合で『負けたくない』『勝ちたい』と思うようになったのは、小学校4年生のときに出場したジュニアオリンピックからです。初めての全国大会で決勝まで進んだだけでも嬉しいはずだったのですが、結果は8位ですごく悔しかったんです。それからは『もう負けたくない』という気持ちで練習量も増やして、翌年の夏のジュニアオリンピックでは優勝することができました。

ちょうどその頃ですね、北島康介さんが北京オリンピックで金メダルをふたつ獲得したのを見て、『自分もあの表彰台に立ちたい』と思うようになりました。」

――負けず嫌いな性格ですか?
「球技とかゲームは得意ではないので、負けてもそれほど悔しいとは思わないのですが、自分が好きなことで負けるのは絶対に嫌ですね。昔も今も、水泳に関しては頑なに負けず嫌いだと思います。あと、目立つのが好きですね(笑)優勝したり、自己ベストを出したりして、たくさんの人に注目してもらえる。水泳を頑張れるのも、この性格があるからだと思っています。」

――その努力の結果、これまで数多くの大会で優勝してきました。高校インターハイでは、2年と3年のときに背泳ぎ2種目で優勝。2年連続で2冠を達成しました。
「特に高校2年生のときに出場したインターハイは、本当に楽しかったですね。レース前から絶対にベストを出して優勝できると感じていたし、実際に結果も狙い通り自己ベストで優勝。とても印象に残る大会になりました。」

――絶対に優勝できる、それはどんな感覚だったのでしょうか?
「とにかく常にワクワクしていました(笑)。新幹線での移動中もワクワクしすぎてまったく寝られなくて、ただ絶対に優勝できる自信はあって『早く泳ぎたい!』という一心でした。

だから試合が終わったときにやっと少しほっとした記憶があります、自分を信じてよかったと。3年生のインターハイで2冠を達成したときも同じで、それまで相当厳しい練習を積んだので、その努力から最後まで自分を信じきることができ、優勝につながりました。その感覚は大学に入った今でも大事にしていて、誰にも練習量では負けたくないと思っています。」
   

高校卒業、東洋大学へ「璃緒(りお)の夢は?」



――高校卒業後の進学先として、いくつか候補はあったと思いますが、その中からなぜ東洋大学を選んだのでしょうか?
「進路について兄に相談したことがあって、そのとき兄から『璃緒(りお)の夢は?』と聞かれました。少し考えて、『オリンピックに出ること』と答えたら『じゃあその夢を叶えられる一番の近道となる大学は?』と聞かれて。そのとき、真っ先に思い浮かんだのが東洋大学への進学でした。」

――高校まで暮らした兵庫県宝塚市を離れることに、迷いはありませんでしたか?
「やはり地元を離れるのは不安だし、関西に残るか悩んだときもありました。しかし、兄との話し合いの中であらためて自分の夢や目標が明確になり、そのためには世界で戦う人と一緒に練習すること、強い人と一緒に時間を過ごすことが必要だと思ったんです。

そう考えていったときに、私が進むべきは東洋大学だと。東洋大学はプールも含めたトレー二ング施設が整っていて、近くにJISS(国立スポーツ科学センター)があるという環境的なメリットがありますが、やはり一番は多くのメダリストを育てた競泳日本代表の平井伯昌ヘッドコーチ(東洋大学水泳部監督、法学部教授)の指導を受けられること、そして萩野公介さん(2017年東洋大学卒業、リオデジャネイロ・オリンピック金メダリスト)や大橋悠依さん(2018年東洋大学卒業、世界水泳銅メダリスト)をはじめとするトップレベルの選手たちと練習できることが、私にとっては大きな魅力でした。

兄も『そう思ったのなら、お前が行くところは東洋大学なんだろう』と言われてから迷いがなくなりました。」
    


――その狙い通り、大学に進学してからも白井さんは自己ベストを更新し続け、今では日本代表に欠かせない存在になりました。大学1年(2018年)のときは、パンパシフィック水泳選手権に日本代表として出場。リレー種目のメンバーにも選抜され、惜しくも4位とメダルは逃しましたが日本記録をマークしました。大学に入ってから、何か変わったことはありましたか?
「練習の内容は変わりましたね。大学に入ってから初めてウェイトトレーニングにも取り組んで、パワーのある泳ぎができるようになったと思います。ひとことで言えば、高校時代は量、大学に入ってからは質を重視して一本一本出し切る練習になってきています。それに今はトップレベルの選手たちと練習ができているので、食らいついていくことで成長もできていると思っています。」

――高校時代に比べて戦う舞台も国内から国際大会へと変わり、注目度も高まってきました。その過程で、何か意識や心境の変化はありましたか?
「今の自分にとって大事なのは、やるべき練習を続けて、どんな大会でも自己ベストを出し続けること。私自身は今も昔も同じように頑張っているだけで、それほど特別なことをしているという自覚や、何かが変わったという意識はありません。だから注目されることに対して、不思議な感覚があります。」
   

2019世界水泳「頑張りたくても頑張れない」初めての体験



――今年(2019年)4月の日本選手権では200m自由形と200m背泳ぎの2種目で優勝して、7月に韓国で開催された世界水泳選手権へ出場しました。個人2種目、リレー2種目、初めての大舞台で7、8レースをこなして相当大変だったのではないでしょうか?
「日本選手権のときは、今までと同じようにたくさん練習して『これだけ頑張ってきたのに優勝できないわけがない』と自信を持って挑めて、それが結果にもつながりました。

でも、世界水泳はちょっと違いました。ほとんどの選手が自分より背が高くて、体つきも全然違う。全員が自分より速く見えてしまい、初めて自信よりも不安を感じました。どのレースも食らいついていくのに必死で、特に後半戦は身体的にも精神的にも辛かったですね。」

――知らず知らずのうちにプレッシャーを感じていたのでしょうか?
「そうだと思います。頑張りたくても頑張れない。そんな感覚になったのは初めてで、『なんで自分だけこんなに泳がないといけないんだろう』とマイナス思考にもなってしまって……。そんな弱い考えをした自分が情けなくなりました。」

――そんな状態だったにもかかわらず3種目で決勝に残りました。特に4X200mフリーリレーは、来年のオリンピックの出場権を獲得する、すばらしい結果にもつながりました。
「結果的にはそうですね。リレーは来年のオリンピックの出場権もかかっていたので、私の役割を果たせたのかなと思います。個人では背泳ぎはダメでしたけれど、200m自由形で決勝に残れたのは素直に嬉しかったですね。世界でたった8人しか泳げない舞台で泳げたことはとても光栄ですし、自信にもなりました。でも一方で、こんなに頑張って練習してきたのに、優勝者とはまだ2秒以上も差があるんだと、悔しさというか、世界との差を実感したレースにもなりました。嬉しさ半分、悔しさ半分、時間が経つにつれ悔しさのほうが大きくなっているように思います。」

――今、振り返ってみて、白井さんにとって初めて挑んだ世界水泳はどんな大会でしたか?
「自分の現在地を認識できたという点では、とても貴重な大会になりました。世界水泳のレベルで4種目に出場することは自分にはまだまだ多くの課題があること、さらに世界のトップとの差を実感できたことは、オリンピックの1年前に経験できてよかったと思っています。」

――その差は、今、どのように感じていますか?
「絶対に縮められると思っています。世界水泳を体験してみて、あの舞台で表彰台に立ちたいと、あらためて強く思いました。今まで以上に練習しないとたどり着けない場所ではあるけれど、自信はあります。ダメだと思えば叶えられませんが、必死に練習を続けていけば、叶えられない夢はないと思っているので。だから来年のオリンピックでメダルをとるために、これからもっと自分を追い込んで練習していきます。」  
    

トップアスリートの才能「水泳はめちゃめちゃ楽しい」



――世界選手権で苦しい思いはしましたが、そのあとのインカレ(日本学生選手権)では5冠を達成。シーズン後半で疲労もピークだったと思いますが、その中でも自己ベストを更新する強さを発揮しました。
「世界選手権のあと、平井先生の助言もあって少し練習を休みました。それでリフレッシュできて完全復活です(笑)。インカレのときはとにかく泳ぐことも試合に出ることも、めちゃめちゃ楽しくして仕方がない状態でした。高校2年生のときの、あの感覚に似ていますね。暇さえあれば、自己ベストを出したときの泳ぎを見て改善点を探したり、ずっと水泳のことばかり考えていました。」

――インカレでは、大会直前に少し泳ぎ方を変えた、という話を聞きました。
「はい、今シーズンはあまり背泳ぎが良くなかったので、大会の1週間前に平井先生にアドバイスをもらい、泳ぎ方を変えました。具体的には、これまで肩を大きくローリングさせる泳ぎだったのですが、腰からローリングするスタイルに変えました。直前に泳ぎを変えることに不安はありましたが、結果的にそれが功を奏して、楽に速く泳げるようになったんです。結果的に疲労がある中でも自己ベストが更新できて、思い切って変えて良かったなと先生に感謝しています。総合優勝はできなかったけれど、リレー種目では優勝できて、インカレは本当に楽しいというひとことでは収まらないくらい、思い出深い大会になりました。」
   


――自分を追い込めるのは、トップアスリートには重要な才能でもあると思いますが、練習して自信をつかんでいくそのスタイルは、昔からですか?
「さぼるようなことはしなかったですね。多分、私は好奇心が強いんだと思います。自己ベストを出したい。練習すれば、自己ベストは更新できる。だから練習も頑張る。すごいシンプルな思考の持ち主なんです。」

――白井さんにとって、水泳はしんどいものですか、それとも楽しいものですか?
「めちゃめちゃ楽しいものです。世界選手権では少し苦しい思いはしましたが、でもやっぱり泳ぐことは楽しいし、水の中にいることが私は好きなんです。この気持ちは、水泳を始めてからずっと変わっていません。」

――夢はかならず叶えられる。白井さんのその自信と強さを支えているものはなんですか?
「やはり“練習”だと思います。水泳が好きだから頑張るし、頑張れば少しずつでもタイムは伸びていく。昔も今も、おそらくこれからも、その繰り返し。夢は叶うものだと信じられるのは、練習を続けられるという自信が私にはあるからだと思います。それに誰よりも“水”が好きという自信もあるので(笑)」
   

好奇心と愛情と、覚悟を持って2020に挑む

白井さんは練習中、「いつも璃緒は笑っているな」と周囲から言われることが多いと言います。水の中を泳ぐことは『本当に楽しいことでしかない』のだそう。終始、おだやかに、にこやかに語ることからも明らかで、彼女の言葉は水泳への好奇心と愛情にあふれながら、つねに凛とした“覚悟”が込められていました。

何度も話していたのは、「必死に練習すれば、叶えられない夢はない」こと。夢が大きければ大きいほど、当然その道のりは険しくなり、挑むには覚悟が求められます。それでも微塵も疑うことなく自分を信じきる力と、迷うことなく誰よりも努力しようとする覚悟こそ、彼女の最大の強さのような気がします。

2019年10月に開催された日本選手権(25m)水泳競技大会でも3種目で優勝し、JOC杯(大会最優秀選手)に選ばれるなど、シーズン中の好調を維持し続けています。競泳種目の2020東京オリンピック代表選考方法は、来年(2020年)4月に開催される全日本水泳選手権大会での一発勝負。熾烈な代表争いを勝ち抜いた先に、夢の舞台が待っています。

20歳で迎える2020年夏。白井璃緒選手はどんな笑顔を見せてくれるのでしょうか。 
   

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