INTERVIEWEE
相樂 亨
SAGARA Toru
1999年 東洋大学経済学部経済学科卒業
国際副審、プロフェッショナルレフェリー
大学卒業後、金融機関で勤務する傍ら、Jリーグの担当審判員を目指す。2003年よりJリーグの副審を担当。2007年から現在まで国際副審として国内外で数多くの実績を残す。2009年から7年連続でJリーグ最優秀副審賞を受賞。2010年から3大会連続でFIFAワールドカップの副審に選出。2014年開幕戦のブラジル対クロアチア戦での副審を務めた。
サッカー、バイト、審判に明け暮れた学生時代。就職後も審判優先
画像:相樂亨さん―まず、どうしてサッカーの審判をやろうと思ったのですか?
「実は、私の高校のサッカー部の十河正博監督は当時まだ数少ない国際審判員を務めており、Jリーグが開幕した1993年の開幕節のゲーム、鹿島アントラーズ対名古屋グランパス戦で主審を務めた方でした。あの大観衆の中で笛を吹いている監督の姿を見て、審判の存在を意識したというか、『審判ってカッコいいんだな』と気がついたんです。
その後、高校3年生の秋頃に東洋大学への進学が決まりました。その時、十河監督が『相樂、お前ヒマなんだから審判手伝え』と(笑)。そこからですね、審判をやるようになったのは。」
―東洋大学に進学してからはどのような毎日を過ごしていたのですか。
「キャンパスが埼玉県の朝霞だったので、近くにアパートを借りて大学に通っていました。部活はもちろんサッカー部。当時の東洋大学サッカー部はそこまで強くなかったのですが、それでも全国大会レベルの選手が集まっていたためレギュラーに入ることができず、4年間Bチームで過ごしました。平日は授業と部活と居酒屋のアルバイトをこなし、土日は片道1時間半かけて実家がある栃木に帰り審判をするという日々でしたね。」
―審判をするために毎週栃木に?
「あの十河監督の教え子で、しかも若い審判ということで、当時栃木県サッカー協会から毎週審判の依頼が来たんです。居酒屋のバイトを夜中2時までやって始発で栃木に戻り、そのまま寝ないで試合会場に向かうというハードな生活を、卒業するまで続けました。本当にキツかったのですが、断ると(十河)監督に怒られるのではないかという思いもあって(笑)。」
―その当時からすでに審判の道に進もうと決めていたのですか?
「当時はまだそこまで考えていたわけではありませんでした。しかし、毎週栃木に帰るたび、『君には期待している』、『Jリーグの審判に絶対なれる』と吹き込まれるうちにだんだんその気になってきてしまって(笑)。卒業する頃にはまんまと『Jリーグの審判になりたい』と考えるようになっていましたね。」
―そうだったのですね(笑)。大学卒業後はどうされたのですか?
「当時は就職氷河期の真っ只中で、案の定なかなか就職先を見つけられずにいたところ、知人に地元の金融機関の求人を紹介されて。『審判をやるなら、土日が休みの方がいいだろう』なんて安易な考えで応募し、運良く就職することができました。
普段は、午前中に仕事を終わらせて、昼食を食べたら一度家に帰りジャージに着替えてトレーニング。終わったらまたスーツに着替えて仕事に戻るという生活。でも仕事のノルマはきちんと達成していたし、支店長も理解のある方だったので、特に苦言を呈されることもなく。有休も目一杯使ったり、内勤に異動しないかと言われても断ったり。内勤になると、帰りも遅くなって、トレーニングする時間がなくなっちゃいますから(笑)。
いま振り返ると、どうにかして審判と仕事を両立しようと必死でしたね。大変な時期でしたが、好きな審判を続けるためと思えばこそ、きっちり仕事をしなければという気持ちも強かったと思います。もし単に土日を休むために働いていたら、そこまで頑張れていなかったかもれません。」
いよいよJリーグの審判に。本当は副審よりも主審になりたかった!?
画像:審判を行う際に使用する道具―26歳で1級に昇級し、2年後にJ2リーグの副審に。主審ではなく副審を選んだのはなぜですか?
「実は、私も主審をやりたかったんです。主審のほうがカッコいいですし(笑)。他の人も大体そうです。副審をやりたいという人はあまりいないんですよ。なぜかというと、Jリーグでははじめに主審と副審のどちらかを選択しないといけないんですが、一度選ぶと、あとで副審から主審に戻れないんです。みんな主審を目指してきたのに、一生副審と言われたら、やっぱり躊躇しますよね。
もちろん私も主審になるための選考テストを受けたんですが、落選してしまって……。そうしたら、当時日本サッカー協会の指導部長を務めていた十河監督が『相樂は副審に向いている』とプッシュしてくれていたらしく(笑)。監督がそう言ってくれるなら、と副審になることを決意しました。」
―そこで監督が推薦してくれていなかったら、今の相樂さんはいなかったかもしれないですね。主審への思いはすぐに断ち切れたのですか?
「副審と言われたときは少しだけがっかりしましたが、翌日には切り替えていたので、主審への未練を引きずることはありませんでしたね。一般の会社でも、自分が本当にやりたいことではない仕事や役職を任されることがあると思います。イチロー選手だって最初はピッチャーをやりたかったそうですし、ときには自分が思うのと違う道で花開くことがあるのかもしれません。まぁ、あとで監督に聞いたら『ほかに副審をやりたがるヤツがいなかったから』と言っていてガクっとしましたが(笑)」
―確かにそうかもしれませんね。ところで相樂さんのお仕事である国際審判員、プロフェッショナルレフェリーについて詳しく教えてくれませんか?
「国際審判員は、1級資格を持っている審判の中で、日本サッカー協会がFIFA(国際サッカー連盟)に推薦し、承認された人だけが務めることができます。国際審判員になると、FIFAやアジアサッカー連盟が管轄する国際試合に派遣されます。 プロフェッショナルレフェリーは、日本サッカー協会から固定給をもらっている審判員のことをいいます。自身のレベルアップに励みながら全国で講義を行うなど、日本の審判界全体のレベルの向上にも貢献する活動もしています。現在は主審が10名、副審は私も含めて4名がプロとして契約しています。」
―なるほど。試合がある日はどのようなスケジュールで行動するんですか?
「国内の場合、遠いところは前日に、近いところは当日に会場へ入ります。海外の場合は、2日前に入ることが多いですね。
たとえばアジアチャンピオンズリーグでイランに行くとしたら、月曜に現地着。ミーティングをして、時差調整のためにトレーニングをして、体を休める。そして火曜に試合。水曜日には帰国という感じです。大きな大会で1ヶ月ぐらい滞在するときは、観光などの自由時間もありますが、短期間の遠征ではまず難しいですね。」
ワールドカップに3大会連続で派遣。開幕戦のPK判定が大騒動に……
―2010年ワールドカップ 南アフリカ大会に続き、2014年のブラジル大会で日本人審判団としてはじめて開幕戦(ブラジル対クロアチア)を担当した時のお気持ちは?
「ワールドカップの開幕戦は、決勝戦と同等の難易度と価値があると思います。その難しい試合に我々が立てたのは、日本サッカー界が長年取り組み、積み重ねてきたことが実を結んだということ。日本サッカーの信頼がここまで来たという証だと思い、大変光栄に思いました。」
―ワールドカップの開幕戦はさすがに緊張するものですか?
「特別な緊張はしませんが、ものすごく集中しています。ピッチ上ではネイマール選手だろうがメッシ選手だろうが、オフサイドを取り間違えない、絶対に判定のミスをしない、それだけですね。 もちろん、審判中は試合を楽しむ余裕はありません。試合が終わった後、ビデオで見ながら『あ~、○○選手、今日は調子が悪かったんだ』などと気づくほどです。」
―その開幕戦で、西村雄一主審がクロアチアの選手に対してファウルを取り、ブラジルにPKが与えられました。この判定を巡ってはいろいろ議論が交わされましたが、副審としてその場面を見ていた相樂さんは、どう思われましたか?
「私は(ファウルがあったゴール前と)反対側から見ていたので、正直分からなかったです。でも、西村さんがホイッスルを吹いたんだから、何かファウルがあったんだろうとは思っていました。クロアチアからはファウルじゃない、日本人はサッカーを分かってないという主張。ブラジルからしたら当然PKだと。現地のテレビではそれこそ一晩中リプレイが流されて、ヨーロッパでも大騒ぎだったみたいです。
FIFAは『判定は間違いではない、主審によっては取る人もいるし取らない人もいる、でもそこにいる主審が吹いたのだからその判定をサポートする』という見解でした。判定は間違いではない。ただPKを取るファウルか、流してもいいファウルか、という話ですね。結果として、一時的に選手よりも有名人になってしまったので、ブラジル大会ではそれ以後、試合が割り当てられなかったのが残念でしたが……。」
―2018年ワールドカップ ロシア大会にも選出され、日本人最多となる3大会連続でワールドカップに派遣されました。
「今回は佐藤隆治主審と一緒に選出され、私はリザーブ副審として4試合に割り当てられました。リザーブ副審は、万一副審がケガなどをしたときにいつでも交代できるよう、ピッチでスタンバイをしています。
リザーブは交代する事態が起きるまで、特にやらなければいけないことがないので、試合中は審判の動きを見て研究しています。ただ、最初のスペイン対ポルトガルは試合展開が面白過ぎたこともあって、途中から試合に夢中になってしまって(笑)。最後、クリスティアーノ・ロナウド選手(ポルトガル代表選手)のフリーキックが決まったときは観客と一緒に手を叩いて喜んでしまいました。今まで見た試合の中で一番面白かったですね。」
―ロシア大会では新たにVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が正式導入されました。審判をサポートする手段が増えたことになりますが、このVARについてはどう思われますか?
「VARを導入すると判定のミスが減ると思っている人が多いようですが、それは誤解なんです。あくまでもVARは判断のために活用する一つの手段ですので、ビデオを見たうえで判断を下すのは審判であることに変わりはありません。そのため、VARを導入しても判定に対する不満は残ります。決勝戦のハンド(※)も、審判によってハンドという人もいるし、ハンドじゃないと判定する人もいる。グレーゾーンがなくなる訳ではないんですね。『審判の判定で負けた』という不満を完全になくすことは難しいと思います。
もちろん、導入によるメリットもあります。私が考える最大のメリットは、ファウルをする選手が減る、ファウルを予防することができるということ。たとえ審判が見ていないところでファウルをしても、すべてビデオで発覚してしまいます。特にペナルティエリア内でのプレーがクリーンになって、質の高いプレーが期待できるようになったこともあり、ロシア大会でも見ごたえのあるシュートシーンが続出しました。」
※フランス対クロアチア戦の前半35分、クロアチア選手のハンドの判定でフランスにPKが与えられた。
ひとつ間違えば修羅場!?一瞬の判断が求められる副審の難しさ
―副審のお仕事で特に難しいところはどこでしょうか?
「基本的に副審は主審をサポートする立場にありますが、試合中、主審の判定が私の思った判定と違うことがたまにあります。そういうときは主審に『それ違うよ』と助言をしなければいけません。
しかし、ファウルを取っても取らなくても試合に大きな影響がない場面でのミスもあるし、逆にPK(ペナルティキック)のように得点が入ったら勝敗が決まってしまうかもしれない場面での判定ミスもあります。そのような状況に直面したときに、1~2秒のうちに判断を下さなければいけないのが、副審の難しいところですね。」
―試合後に「あの判定は違っていたのでは?」といった話をすることもあるんですか?
「試合後では何を言っても遅いんですよね。主審からしたら、明らかな誤審だったのなら試合中に言ってよ、ということになります。それは、副審がするべき仕事をしなかったということになりますから。
主審は大きなミスジャッジをしたら、今後の主審としての道が閉ざされてしまう可能性すらあります。そういうときに、誤審と分かって助言しなかった副審がいたとしたら、責任は大きいですよね。」
―それはたしかに取り返しがつかない事態になってしまいそうです……。
「言えば良かったと思うときもありますし、言わなければ良かったときもあります。そういう意味では緊迫感があるというか、逃げ場のないシビアな世界だと思いますよ。いずれにしても、試合という一つのプロジェクトを成し遂げるために、主審とどうやって協力、サポートするかが、副審の最も難しいところですね。
主審には年上の方もいれば、年下、外国人の方などもいます。いろいろな考えの人たちと協力してやっていくという意味では、一般の会社での仕事の進め方と似ているのかもしれません。もっと言えば、フィールドにいる22人の選手たちを束ねることで、マネジメント能力もつきます。それは仕事でも生きてくるんじゃないかと思いますね。」
審判を経験するとサッカー観戦が1.5倍楽しくなる!?
―相樂さんのお話を伺ったあとでサッカーの試合を観戦したら、審判にばかり目がいってしまいそうな気がします。
「私も、テレビで試合を観戦しているとゲームと審判のジャッジ、両方が気になって忙しいです(笑)。なんで審判そっち行くんだろう、そっちから見るのか、いまのハンドだろう、とか。みなさんも審判を経験すると、サッカーが1.5倍楽しめるようになりますよ。」
―もっと多くの方に審判の魅力や楽しさが伝わるといいですね。
「私が子供の頃は、ジャンケンで負けた子が審判をやらされていました。でも、これからの子供たちには、『ジャンケンで勝ったから審判ができる、やった!』と思うようになってほしい。私が高校時代に感じたように、『審判ってカッコいい!』と思ってもらうためにはどうしたらいいのかを、つねづね考えています。」
―最後に、今後の活動予定を教えてください。
「私は後進育成のためにも国際審判は今年いっぱいで辞退し、来年からはJリーグ一本で活動する予定です。
そして金融機関で働いていた頃に中小企業診断士の資格を取ったのですが、いまは税理士の資格取得に挑戦中です。いずれは資格を生かして、スポーツ競技団体の経営マネジメントに関するコンサルタントに携わりたいと考えています。
ほかにもいろいろ考えています。たとえば、スポーツを活用したまちおこしとか。 いま私が住んでいる矢板駅の駅前に更地があって、そこにサッカー場(※)を作ろうという計画があります。このようなプロジェクトを活用して、スタジアムを使ったまちおこしや、駅前の活性化にもぜひ取り組んでみたいですね。」
※(仮称)とちぎフットボールセンター