INTERVIEWEE
阿部 雄人
ABE Yuto
東洋大学法学部企業法学科3年
1998年3月7日生まれ。山形県酒田市出身。幼少時よりアルペンスキーと一輪車を始め、現在も東洋大学と地元山形県を拠点に双方の競技に励む。2016年には一輪車の世界大会UNICONの17~18歳部門で3種目の優勝。2018年の世界大会UNICONでは4×400mリレーでの優勝を果たす。
前回の世界大会では3種目で優勝
画像:阿部雄人選手
―阿部選手が出場された一輪車の世界大会について教えてください。
「一輪車の世界大会はUNICON(国際一輪車競技大会)といって、2年に1度開催される一輪車の世界チャンピオンを決める大会です。2016年に僕が参加したスペイン大会(第18回大会)では、40ヶ国から約1,300名の選手が参加しました。」
―一輪車競技にはどんなものがあるのでしょう。また、阿部選手が優勝した種目を教えてください。
「一輪車競技は大きく、演技を競うものと、スピードを競うもの2種類に分けられます。僕は後者のスピード競技が専門ですが、それだけでも20種目以上もあるのです。 2016年のUNICONでは、17歳から18歳部門の『100メートル』と『片足50メートル』、障害物をよけて進む『IUFスラローム』という3つの競技で優勝することができました。」
画像:2016年のUNICONの様子
―転びやすい一輪車でかなりのスピードを出すわけですよね。恐怖心はありませんか?
「今はもう恐怖はあまり感じませんが、転ぶことはしょっちゅうで、怪我をしたこともあります。特にスタート時は、スピードに乗るために前傾姿勢からこぎ出すため、一瞬の判断ミスで転倒が起こりやすいのです。
それでも、スタート直後の加速は僕の最も得意とするところ。転倒を怖がらず、自分を信じて攻めるのみだと思っています。」
アルペンスキーをきっかけに一輪車の道へ
画像:一輪車を始めて間もない、2005年頃の阿部選手(右)
―素晴らしい成績を残されている阿部選手ですが、一輪車を始めたきっかけを教えてください。
「一輪車は、小学2年生の時に始めたアルペンスキーで夏場の練習の一環として取り入れたのがきっかけです。当時からお世話になっている地元山形県のスキークラブのコーチが、『海外のスキー選手は、一輪車をトレーニングに活用している』と提案してくださいました。」
―一輪車を始めたのは、スキーのトレーニングの一環だったのですね。
「スキーのトレーニングに一輪車を利用するというのは日本ではとても珍しいことなのですが、体全体でバランスをとる必要のある一輪車は、スキーに不可欠な体幹を鍛えるのに適しているんです。また、長い距離をこいだり、スピードを競う事で持久力や瞬発力も鍛えられるんですよ。」
―初めて一輪車の大会に出たのはいつですか?
「小学3年生のときです。始めた当初はライバルに遠く及ばず、試合後悔しさのあまり泣いてしまったこともありました。
父には、『人と同じ練習をしていては勝てないぞ』と言われ、一輪車で山登りをしたこともあります(笑)。放課後、友達と遊びたいのを我慢して、必死に練習をして。いつの間にかスキーの練習の一環に過ぎなかった一輪車に夢中になっていました。
その努力が報われたのか、小学4年生の時の全日本大会では『100メートル』、『片足50メートル』、『400メートル』、『10キロメートル』の4冠を獲得することができました。」
―幼いながらも、勝利への欲は人一倍だったのですね。
一輪車を五輪競技にしたい
―一輪車の醍醐味はどんなところですか?
「他の競技にも共通することですが、やはり試合で勝ったときの喜びですね。何度も何度も失敗して、やっと新しい技や動きが習得できた時の達成感は何事にも代えがたいと思います。
さらに、競技以外にも、高校3年のときには、一輪車のつながりで出来た友人と東北・北海道を3週間かけて一輪車で一周するという貴重な経験をしました。なかなかハードな道のりでしたが、一輪車での旅が珍しいからか、道行く人たちが次々に『頑張れ!』と声をかけてくれて。その時はとても嬉しかったですし、改めて一輪車をしていてよかったなと思いました。」
―一輪車で東北と北海道を一周…!?すごい経験をされたのですね。では最後に、阿部選手の今後の目標をお聞かせください。
「大きな目標ですが、いつの日か五輪競技になるくらい一輪車競技をメジャーにできればと思っています。現状はまだまだ競技人口が少ないマイナースポーツですが、だからこそ僕の活躍が誰かの『一輪車を始めるきっかけ』となれるよう頑張っていきたいです。」
―ありがとうございました。今後も、阿部選手の活躍を期待しています!