INDEX

  1. 目が見えなくなっても「ラグビーがあったから……」
  2. ブラインドラグビーとは?コミュニケーションが鍵を握る
  3. ブラインドラグビーの未来とその可能性
  4. 障がいの垣根を越えて。ともに生きるということ

INTERVIEWEE

橋本 利之

HASHIMOTO Toshiyuki

1983年 東洋大学 経済学部 経済学科 卒業
甲子園を目指して目黒高校に進学したが、ラグビー部顧問から「ラグビーやらないか」と誘われ、1週間だけの約束で体験入部。しかし「一人ひとりができることをやりながら、協力して試合に臨む」ラグビーのチームプレイに惹かれて、そのまま正式入部した。ポジションはフォワード(プロップ、ロック)。東洋大学進学後もラグビー部に所属。大学卒業後3年間社会人ラグビーでプレイしたのち、指導者に転向。小学生から大学生、社会人まで、幅広いチームの指導者を務める。2019年4月、日本ブラインドラグビー協会を発足、初代会長兼ゼネラルマネージャーに就任。同年10月には、日本代表チーム「ブラインドラグビージャパン」を編成し、ブラインドラグビー発祥の国、イギリス代表「イングリッシュVI Roses」と国際テストマッチを戦う。また、各所でブラインドラグビー体験会も催している。

日本ブラインドラグビー協会

目が見えなくなっても「ラグビーがあったから……」


画像:日本ブラインドラグビー協会 橋本利之会長

――橋本さんの視覚障がいはいつ頃、なぜ発症したのでしょうか?
「大学時代にヘルニアを発症し、在学中はほとんどまともにプレイできませんでした。社会人になってからもラグビーを続けましたが、やっぱりヘルニアの症状が改善せず、3年間で現役を退きました。それからは、指導者やコーチに転身し、東洋大学ラグビー部にもOBとしてお手伝いに行ったりしていたとき、ある企業から『ラグビー部を創設するので監督としてゼロからチームをつくってほしい』という依頼を受けました。目標は10年以内に一部昇格。結果的に12年間かかってしまいましたが、なんとか一部昇格を果たせました。

しかし、これからというとき、会社が吸収合併されたことをきっかけに、ラグビー部は廃部になりました。

緊張の糸が切れてしまったのか、ストレスを消化しきれなかったのか、血糖値が異常に上昇しそのまま倒れてしまったんです。すい臓が自分の体液によって4分の1も溶けてしまった。あとから、急性すい炎と知らされました。そして大学病院のICU(集中治療室)に3カ月間寝たきり状態となり、『99パーセントは助からない』と家族は言われたそうです。」

――それから奇跡的に命が助かったのですね……
「意識はない状態ですが、心臓だけはしっかりと動いていたそうです。ラグビーを続けてきたことで、心臓と身体は一般の人より少しだけ強かったのでしょう。意識が戻ってからも身体は驚異的な回復力を見せて、3カ月も寝ていたのに意識が戻ってから1カ月後に退院することができました。

ただ、意識が戻って目が覚めたときには、何も見えなくなっていました。先生や看護士さんの声は聞こえる。意識もあるし身体が動く感覚もある。ただ、目が見えない……。 結局、急性すい炎と視覚障がいの因果関係はわからず、いくつかの大学病院で診てもらいましたが、今でも視覚障がいの原因は明確になっていません。」

――突然、視力が失われてしまった状況に困惑されたことと思います。
「やはりしばらくは現実を受け止められず、考え込む時期もありましたが、病院の先生から『橋本さんはこういう病気で死ぬところだった。でもあなたは生きている。目が見えなくても、生きていればなんでもできるはずです』といわれたとき、不思議と見えないことへの不安がなくなりました。ある意味で覚悟ができたのだと思います。これからはこの新しい世界で、生きていくしかないんだなと。

命が助かった代償として目が見えなくなっただけで、まだまだいろいろなことができる。不便はあるが不幸ではない。そう思えたのも、私にはラグビーがあったからです。」
    

ブラインドラグビーとは?コミュニケーションが鍵を握る


画像:2019年10月、国際テストマッチ2019 in JAPAN(日本 vs イギリス)にて(撮影:鶴岡悠子)

――ブラインドラグビーの存在はご存知でしたか?
「いえ、知りませんでした。一昨年の暮れ頃、“去年(2019年)1月にイギリスからブラインドラグビーのコーチが来日して、日本にブラインドラグビーを普及させるための講習会を開く”というニュースを知りました。これは何か新しいことができるのではないかと、ワクワクしたことを覚えています。」

――実際にそのブラインドラグビーの講習会へ行かれたのですね。
「はい。そこでイギリスのコーチから『日本でもブラインドラグビーのチームをつくって国際テストマッチを開催したい』という要望があり、そのためには日本国内での協会発足と情報発信をしていく必要があるという話になりました。そこでラグビー経験者でもあった私に相談があったのです。」

――その年の4月には、橋本さんを会長に、正式に日本ブラインドラグビー協会が発足しました。わずか3カ月の準備期間でしたが、何がもっとも大変でしたか?
「やはり指導者、スタッフの人選をどうするか、という問題です。選手を招集することも大切ですが、協会を設立する以上、当然、組織としてブラインドラグビーを普及・強化できる体制をつくらなければなりません。ここでポイントになってくるのが、ただラグビーを知っているだけではなく、協会として障がい者のことを理解しているスタッフの存在です。」

――具体的には、どのような人材が必要なのでしょうか?
「たとえば視覚障がい者に『何時に集合してください』と伝えても、初めて行く場所だと最寄りの駅まで行くのが精一杯で、そこからグラウンドへたどり着くのはとても難しいことです。視覚障がい者に限らず、健常者が当たり前にやっていることでも障がいのある方にとっては難しいことが少なくない。そうした不便さを把握・理解して、細かいところまでケアできる人が必要になってきます。それに加え、グラウンドでラグビーを教えられる人となるとなかなかいません。

でも、幸いなことに元ブラインドサッカーの日本代表だった浅間光一さんが監督を務めてくれることになり、また、ラグビー経験者で、私のよき理解者でもある息子(橋本利輝)もヘッドコーチとして手伝ってくれることになりました。そうして少しずつメンバーを集めていき、いろいろな方の協力を得ながら、なんとか日本ブラインドラグビー協会を発足することができました。」
    

画像:2019年10月、国際テストマッチ2019 in JAPAN(日本 vs イギリス)にて(撮影:鶴岡悠子)

――ブラインドラグビーと一般のラグビーとの大きな違いは、どのような点がありますか?
「まず、ブラインドラグビーのボールの中には鈴が入っています。視覚障がい者はこの音を頼りに、ボールの位置や、ボールを持って走っている人を把握できるようになっています。

グラウンドは15人制ラグビーの半分を使って行われ、7人制ラグビーのルールがベースになります。タックルは原則禁止で、6回タッチされたら攻守交代。激しくコンタクトしたり、フォワードの押し合いなどは行わない代わりに、ボールをどんどん回していくのが基本です。展開の連続なので見ているほうはゲームに動きがあって楽しいと思いますよ。」

――選手同士、パスはどのように投げて、どのように受けるのでしょうか?
「一番大切なのは、コミュニケーションです。目が見えないぶん、ディフェンスのときもオフェンスのときも言葉でお互いを指示し合うので、基本的にグラウンド上は賑やかですね(笑)。

また、ブラインドラグビーでは、胸でパスを受けるのが基本動作になります。つまり受ける側は抱えるようにしてパスをキャッチしますので、パスがお腹よりも下にくると落としてしまいます。通常のラグビー同様、ボールを前に落とすノックオンはブラインドラグビーでも反則になるので、パスするほうはなるべく正確に胸の高さに投げるようにします。」
    

画像:2019年10月、国際テストマッチ2019 in JAPAN(日本 vs イギリス)にて(撮影:鶴岡悠子)

――距離感は、どのように把握するのでしょうか?
「これもコミュニケーション、声出しが前提になります。近場であればわかりやすいのですが、ロングパスを出すときは、パスを出す選手とどれくらい離れていて、さらにパスコースの間に相手選手がどのくらいの間隔でいるのかを瞬時に伝えます。そうしたコミュニケーションとパスのスキルを、練習のときから養っていくわけです。」

――選手同士がイメージを共有することがとても大切になってきますね。
「そうですね。対象との距離感や位置を見て確認することが難しい視覚障がい者は、聴こえる音や声でそれらを把握します。私たちが音から知る情報はとても多く、感覚も鋭いと思います。

また、メンバー同士の動きをより正確に把握するために、お互いの障がいの度合いや状況を必ず共有するようにしています。ひとくちに視覚障がいといっても、実は人それぞれで、たとえば視界の上の方は見えるけれど下の方が全然見えなかったり、私のように右目はまったく見えないけれど、左目はかすかに見えていたり。選手によって病名も症状も異なるので、それぞれの特徴を把握することがブラインドラグビーではとても重要になってきます。つまり、パスを受ける選手のことを深く理解し、どのようなボールだったら受け取りやすいのかを考えることで、よりパスミスも少なくなります。」

――お互いを理解することが、スムーズなパスワークにつながるわけですね。
「自分の頭の中である程度イメージを描きながら、今どういう状況なのかをそれぞれが共通に把握していなければ前に進めません。コミュニケーションをとりながら瞬時に判断していく。目が見えないだけで、身体能力や判断能力は、普通の人と変わらない。なかには突出した運動能力のある選手もいます。ブラインドラグビーの試合は、視覚障がいを感じさせないプレイの連続なので、初めて見るほとんどの方は驚かれますよ。」
    

ブラインドラグビーの未来とその可能性

    
――橋本さんご自身が、ブラインドラグビーに期待していることはありますか?

「大きく2つあります。ひとつは、視覚障がいの有無にかかわらず皆でラグビーを楽しめるような世界をつくることです。

狙ったところにものを投げること、飛んでくるものをキャッチすること、障害物を避けながら前に進むこと。視覚障がい者が苦手とされてきたこの3つができなければ、ラグビーのプレイは成り立ちません。サポートは必要ですが、お互いにコミュニケーションを密にとれれば皆でラグビーを楽しむことができます。

もうひとつは、ブラインドラグビーの普及が、視覚障がい者の日常を変える可能性を持っていることです。

視覚障がい者の中に、街を歩くのが苦手だという人は少なくありません。何かにぶつかって転んだり、交通事故に遭ったりするのではないかという恐怖心だけでなく、誰かに迷惑をかけてしまうのではないかという不安が、心の負担になって出かけたくなくなる気持ちにさせてしまうのだと思います。でもラグビーを体験することで、そうした不安や意識を変えていくことができるのではないか。私はそう信じています。」

――ラグビーをすることで、恐怖心や不安を和らげることができるかもしれないと。
「はい。実際に、昨年開催されたラグビーワールドカップのイベントの一部で、ブラインドラグビーの体験会を催しました。弱視の見え方を体験できるメガネを晴眼者にかけてもらうと、大概の大人は『これは無理だ』と言います。見えない状態で動くことが怖いからでしょう。ところが、子どもたちが体験すると、状況は違いました。最初は戸惑っていた子どもたちも、慣れてくるとなんとなく感覚的に距離感や間合いを感じるようになって、そのメガネをしていても障害物を避けながらジグザクに動けるようになる子が何人もいました。つまり、視覚障がいのある子どもたちが幼い頃からブラインドラグビーでこの感覚を養うことができれば、たとえ全盲になっても未来の日常は大きく変わるはずです。」

――ブラインドラグビーは視覚障がいのある方にとって、スポーツとしての魅力だけでなく、未来への希望にもなり得るということですね。
「『ラグビーで助かった命だからラグビーに恩返しがしたい』私はそう思っています。今、私にできることは、視覚障がいがあってもラグビーを楽しめるという経験を広めること。老若男女、障がいの有無などに関係なく、より多くの人がラグビーボールを持って楽しんでほしい。そして私も含めて、たくさんのラガーマンがラグビーに助けられたように、ひとりでも多くの人が、ラグビーを通して前向きに生きる力を持ってほしいと思っています。ラグビーにはそれだけの力がある。 それが、日本ブラインドラグビー協会の、私の大きな夢です。」
   

障がいの垣根を越えて。ともに生きるということ


画像:2019年10月、国際テストマッチ2019 in JAPAN(日本 vs イギリス)にて(撮影:鶴岡悠子)

――東京でのオリンピック・パラリンピック開催が近づき、国内では、一層バリアフリー社会の実現が求められています。橋本さんは、障がいのある方による情報発信が大切だと語ります。

「視覚障がいの人が目の前にいても、どうすればいいかわからないという方は多いのではないでしょうか。たとえば、電車で白杖を持っていると席を譲っていただくことがありますが、席まで私を誘導してくれる方はそれほど多くありません。また助けようとして、背中を押しながら誘導しようとしてくれる方もいますが、背中を押してもらっても目が見えないので少し怖かったりすることもあります。

何ができなくて、何を不便に感じているのか。障がい者との付き合い方を、まずは私たち障がい者自身がもっと世の中に発信していかないといけないですし、社会のなかに障がい者のことを知る機会をもっとつくってほしいと思います。そして同時に、目が見えないこと以外は、皆さんと同じだということを知ってほしい。その積み重ねが、障がいの垣根を越えて皆が一緒に生きていくバリアフリー社会の実現にも繋がっていくのだと思います。」 
    

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