INTERVIEWEE
吉田 太勇
YOSHIDA Taiyo
東洋大学 国際学部国際地域学科4年
宮本 紀佳
MIYAMOTO Norika
東洋大学 国際学部国際地域学科4年
受け継がれてきた能登とのつながり。学生の力で地域活性化に貢献する

――まず、能登ゼミの活動について教えてください。
宮本 東洋大学国際学部国際地域学科では、石川県羽咋郡志賀町(はくいぐんしかまち)の鵜野屋(うのや)地区・地保(じほ)地区の方々と交流し、地域づくりを学ぶ「能登ゼミ」という活動を2012年から実施しています。地方では少子高齢化や過疎化が進み、力仕事を担う若者が足りていない状況です。そこで、東洋大学の学生が地域の方々と一緒になって活動することで、地域活性化に貢献しています。
吉田 活動内容はさまざまですが、特に秋季祭礼のお手伝いが主なイベントです。神輿の担ぎ手という大切な役割を学生に任せていただき、伝統文化の継承に寄与します。それだけではなく、準備から片付けまで祭礼の全般を、地元の方々の指示を仰ぎながら学生が分担して運営しています。
宮本 秋季祭礼のお手伝いは、新型コロナウイルス感染症によって中止になった年を除き、2012年以降10年近く継続している活動です。学生や卒業生が50人ほど集まる一大イベントですよ。
――活動に参加した感想を教えてください。
宮本 「能登ゼミ」には、国際学部をはじめ他学部の学生や大学院生、卒業生、外国を含む他大学の学生が参加するさまざまなプログラムがあります。初めは、初対面の学生が多く、能登についての知識もなかったので、不安な気持ちもありました。しかし、地域の方々があたたかく迎えてくださったことがとても印象に残っています。サザエなど地元のおいしい食材でもてなしていただき、自然の豊かさにも感動しました。アットホームな雰囲気の中で親交を深め、まるで祖父母のような近い距離感で接してくださる方もいました。活動が終わる頃には、「東京に帰りたくない」と思ったほどです。
吉田 僕も能登を離れるのが寂しかったです。コロナ禍を経て、家族や親せき以外の人とのつながりが希薄になっていたため、自分にとって“帰りたくなる場所”が新しく増えたことは大きな変化でした。夜はカエルが鳴き、イノシシに遭遇することもある。お祭りで打ち鳴らす太鼓を、地元の子どもたちから教わることもありました。東京とは全く異なる環境での活動を通して、能登の地域の一員になれた気がします。
――地域の人々との交流を大切にしているのですね。
吉田 能登ゼミの活動の主軸は、地域のお手伝いです。地域の人々が困っていることに寄り添い、一緒に取り組んでいくというスタンスを忘れずに活動したいと考えています。人手が足りていないからこそ、私たちが求められている。その期待に応えていきたいと思います。
宮本 そうですね。多くの学生が能登ゼミに継続して参加するのは、ひとえに能登の人々に魅力を感じているからです。普段の旅行では「きれいな場所だったな」「料理がおいしかったな」で終わってしまいますが、「帰りたくない」「また行きたい」と思えるのは、交流を通して地域の人々と心のつながりができたからこそ。このような出会いはとても幸せなことだと感じています。能登の方々も私たちのことを気にかけてくださり、たまに連絡をくれたり、近くまで来たからと会いに来てくれたりします。そうしたつながりが何よりもうれしいですね。卒業生から、能登ゼミの活動とは関係なく能登に遊びに行くという話を聞いた時、最初は不思議に思っていたのですが、今ならその気持ちがよく分かります。
吉田 能登ゼミというきっかけがなければ、きっと縁のなかった地域だと思います。東洋大学やこれまで活動を続けてきた先輩方がつないでくれたご縁があるからこそ、今の僕たちがいます。受け継がれてきたつながりを、これからも大事にしたいですね。
能登半島地震や能登半島豪雨で災害が相次いだ中、復旧のために学生ができる支援とは

――2024年1月に能登半島地震がありました。ニュースなどで災害の情報を見て、どのように感じましたか?
吉田 最初に能登半島地震のニュースを見た時はとても驚くと同時に、真っ先に能登の皆さんが心配になりました。当時、僕はフィリピンでインターンをしていたのですが、自分にできることはないかと考え、すぐに能登ゼミのメンバーと連絡を取り、支援方法を話し合いました。
宮本 私もニュースで被災地の映像を目にした時、自分の知っている場所が映っていることが信じられず、本当に驚きました。心配でたまらなかったものの、今すぐに連絡をしても負担になるのではと思い、少し時間をおいてから連絡を取りました。能登ゼミとしては、2024年3月末には、珠洲市の避難所などで暮らしている子どもたちを対象とした2泊3日のお楽しみ旅行(保養プログラム)を企画し、実現させました。子どもたちが少しでも笑顔になれるような催しを考え、楽しい時間を過ごしてもらいました。
吉田 それに加えて、有志の学生で災害ボランティアにも携わりました。僕は瓦礫の撤去や災害ゴミの運び出しなどを担当。ボランティア活動の中では、地域の方々と自然なコミュニケーションを取ることを心掛けました。もちろん被災者の負担にならないよう配慮しつつも、「今日は寒いですね」といった何気ない会話を交わすことで、少しでも心を楽にしてもらえればと思いながら活動しました。
宮本 私もこのボランティアに参加しました。力仕事ではあまり役に立てなかったので、地域の方々との交流を通じたメンタルケアに重点を置きました。センシティブなことなので近況を伺うにも慎重さが求められましたが、意外にも多くの方がお話ししてくださり、話す機会を欲していたようです。「久しぶりに誰かと喋れてよかった」とおっしゃる方もおり、少しは力になれたのかなと感じています。
――能登半島地震発生後、ボランティアとして初めて現地を訪れた際、どのようなことを感じましたか。
吉田 震災発生から約半年後に初めて現地を訪れました。道路は凸凹だらけで、ブルーシートがかかった家があちこちに残るなど、復旧にはまだまだ時間がかかりそうだと感じました。ニュース等での報道とのギャップに驚き、現実の厳しさに言葉を失いましたね。
宮本 私が担当した地域でも、車中泊をしている方がいたり、一部で断水が続いていたりと、復旧が進んでいない印象を受けました。家が全壊したため、能登を離れる人も少なくありませんでした。もともと過疎化が進んでいた地域なだけに、今回の災害でさらに人口減少が加速してしまったように思います。元の活気を取り戻すには、相当な時間が必要だと痛感しました。
吉田 追い打ちをかけるように、9月には能登半島豪雨も発生しました。地震と豪雨、どうして2つも災害が重なるのか……。やるせない気持ちでいっぱいです。復興、つまり当たり前の生活が送れるようになるにはまだまだ長い時間がかかると思います。だからこそ、できることを一つひとつ積み重ねていくことが大切です。そのお手伝いを続けていきたいと思います。
宮本 震災以降、休む間もなく復興のために奔走してきた方々が、能登半島豪雨で心が折れてしまわないか心配になりました。「何のために頑張ったらいいんだろう」と不安を抱えている人も多いと思います。少しでも早く元の生活を取り戻し、希望を持てる日が来てほしい。能登ゼミが継続してきた活動をこれからも続けていくことが、今の私たちのできることだと思います。
これからも能登の支援を続け、魅力を発信していきたい

――能登ゼミで大切にしていることは何ですか?
宮本 私はなによりも、「自分自身が楽しむこと」を心掛けています。能登ゼミでは、稲刈りをしたり、精進料理を作ったりと、東京の暮らしとは全く異なる体験を重ねてきました。一つひとつの貴重な活動を楽しみながら取り組むことで、ゼミのメンバーや地域の人々の笑顔が増えていく――そんな実感があります。また、これまでの活動を通じて、人間的に大きく成長できたとも感じています。能登の人々は人の繋がりをとても大切にしている方が多く、能登での学びを通して私自身も絆を大切にできる人になれたように思います。
吉田 僕が大切にしているのは、「感謝の気持ち」です。毎年恒例の行事になると、つい能登ゼミの活動を当たり前のように感じてしまいがちですが、地域のお祭りも災害ボランティアも、地域の方々が受け入れてくださってはじめて成立するものです。感謝の気持ちを決して忘れることなく、地域の方々に言葉や行動で伝えながら活動していきたいと考えています。
――今後の展望を教えてください。
宮本 これからも能登ゼミの活動を続け、楽しいことにどんどん挑戦していきたいです。震災前にはお寺でカフェを開くという構想もありました。そのような新しい試みを重ねることで、地域の魅力をさらに引き出せたらと思います。能登は素晴らしい魅力にあふれています。その魅力を地域の方々自身が再認識し、地域に誇りを持てるようになり、将来「能登に住み続けたい」と考える子どもたちが増えていくとうれしいですね。
吉田 僕も引き続き活動を続け、機会があれば他の地域にもこの取り組みを広げていきたいと考えています。ただ、大きなことを成し遂げたいというわけではありません。「学生と過ごした時間が良い思い出になった」「また来年、学生が来るまで少し頑張ろう」――そんな風に、能登ゼミに関わった人たちが少しでも幸せになれるような活動を、コツコツと積み重ねていきたいです。
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東洋大学能登ゼミ