INDEX

  1. 新たな体験を求めて東洋大学へ。“道を切り拓くのは自分だ”と実感
  2. 小論文指導から始まった、福岡女子商業高校の挑戦。成功につながるポイントとは?
  3. 「5年で日本一の商業高校」を目指して、挑戦は続く

INTERVIEWEE

柴山 翔太

SHIBAYAMA Shota

2013年 東洋大学 文学部日本文学文化学科卒業
学校法人八洲学園 福岡女子商業高等学校校長
1990年北海道砂川市生まれ。東洋大学卒業後、高等学校国語科教諭として札幌新陽高校や神戸星城高校などでの勤務を経て、2020年福岡女子商業高等学校に赴任。2021年4月、30歳で同校の校長に就任。以後、生徒への教科指導・小論文指導に加えてさまざまな学校改革に取り組んでいる。
著書に『きみが校長をやればいい 1年で国公立大合格者を0人 → 20人にした定員割れ 私立女子商業高校の挑戦』(2023年6月刊行)

新たな体験を求めて東洋大学へ。“道を切り拓くのは自分だ”と実感



――まずは、柴山さんの学生時代のことをお聞きしたいと思います。東洋大学へ入学を決めたきっかけはあったのでしょうか。

東洋大学への進学理由はいくつかあるのですが、まずは「高校教諭の教員免許が取得できること」です。野球に全力で取り組んできた学生時代でしたが、高校球児の夢舞台である甲子園には、残念ながら出場することができませんでした。「それならば、先生になって監督として甲子園に出よう!」と思ったことから、高校の先生を目指すようになりました。東洋大学は学生スポーツが盛んなイメージがあったため、自分に合った雰囲気の大学なのではないか、と考えていました。

また、高校までを過ごした北海道から東京に飛び出したのは、高校の現代文の授業でお世話になった先生の話も大きなきっかけですね。授業の合間に「彼女とバイクを二人乗りして、レインボーブリッジを渡ったときには、北海道では感じられない爽快感があったよ」とおっしゃっていたんです(笑)。せっかく大学に進学するのであれば、今までにない体験をしたいと考えていたので、新しい世界を求めて東京にやってきた……という具合です。

――新たな経験を求めて、東洋大学に入学したということですね。大学生活で、印象に残っている出来事はありますか。

入学した日本文学文化学科で古典の指導法について学ぶ授業を履修したことは、自分の勉強に対する意識がガラッと変わる大きな機会だったように思います。

指導法、つまり教科の教え方を学ぶ授業だったのですが、私は古典文学に対する知識もそれほどなかったため、「授業の中で古典文学について学ぼう」と考えていました。それを教授に見抜かれてしまい、「君は何を考えてこの授業を受けているんだ。ここは古典を教えるための方法を学ぶ場だ」とお叱りを受けてしまったのです。そのときに周りの受講生を見て、私以外の学生はみんな教え方を学ぶ意識と、そのための知識の土台をしっかりと持っていることが初めて分かりました。「このままじゃ駄目だ」と思い、授業後は図書館にこもって毎日必死に勉強するようになりましたね。

大学は、高校までと違って手取り足取りすべてを教えてくれる場所ではありませんよね。しかし、私は「誰かが何とかしてくれる」と思ってたのです。大学は自分で目的や目標を見つけ、それに向かって自分で行動する場所だ、と改めて気づかされた経験でした。

――その授業で先生になるための意識が芽生えたともいえそうですね。大学卒業後は北海道の高校で国語科教諭を務めますが、3校目に赴任した札幌新陽高校で大きな出会いがあったそうですね。

当時校長を務めていた荒井優さんに、大きな影響を受けましたね。それまで自分が持っていた「学校とはこういうもの」「教師とはこうあるべき」という概念を覆されました。例えば、生徒たちに興味のあることをヒアリングして、その事柄に関連する企業人と生徒を繋げるんです。なかなか他の学校では見られないアプローチですが、そうすることで生徒は自分の意見を聞いてくれた満足感や、社会人との接点を提供してくれたうれしさから、表情や行動がどんどん前向きになるんです。

当時の自分は「早く国語科教員としてのスキルを身につけなくては」という思いで仕事に臨んでいましたが、荒井校長の取り組みを見て、新しいことにチャレンジする大切さや、今までにないアプローチで教育していくことの面白さを実感しました。

また、荒井校長は「自分が校長になったつもりで行動してください」「学校のチャレンジングな雰囲気は先生たち大人が作るのです」とよく仰っていました。この言葉は、現在校長となった私もよく思い返しますし、今務めている福岡女子商業高校の先生にも伝えていますね。
 

小論文指導から始まった、福岡女子商業高校の挑戦。成功につながるポイントとは?


生徒が小論文執筆のために調べた単語や新聞記事をまとめた「小論文ノート」

――その後、幅広く挑戦できる高校を探して福岡女子商業高校に2020年に赴任されます。この年に国公立大受験者に向けて行った小論文指導が、赴任後初の挑戦だったそうですね。

当時の本校は、入学希望者が減少して定員割れが続く状態でした。加えて、卒業後は地元企業に就職する生徒が半数以上だったことから、進路の選択の幅が狭いことも課題にありました。生徒は無意識に大学進学を選択肢から外し、先生方もそのことに積極的に口出ししない。しかし、進路指導は希望を無批判に受け入れるのではなく、生徒自身も気づいていない「やりたいこと」を引き出すことが大切なのだと思っているので、より納得できる進路選びをしてほしいと考えました。

しかし、生徒はもちろん、先生方も、国公立大学進学を目指すのは難しいだろうと思っている方がほとんどです。先生方には「迷惑はかけないので、放課後に小論文を指導して、推薦による国公立大学進学者を出します」と説得し、生徒たちには全体集会で「やる気があれば合格できるから、まずはチャレンジしよう」と思いの丈を語りました。当初の見込みではそこまで人数は集まらないと思っていたのですが、次第に参加者や応援してくれる先生が増えていきましたね。結果、その年は6カ月の小論文指導を行い、国公立合格者は20人。その成果が生まれたことで、学校全体に挑戦する意識が根付いたと感じています。

――「推薦での国公立大学進学」という前例のないチャレンジが形になり、学校の雰囲気も変わったということですね。

日々の教科指導や生活指導はもちろんですが、このような学校の雰囲気づくりを行うのも教師の役割だと感じています。極端な例ですが、ただ知識を身につけて学力を伸ばすだけであれば、タブレットやスマートフォンがあればできてしまうため、先生は必要ありません。また、タブレットやスマホは家でも使えるので、学校に来る意味もないですよね。そのような中で、学校の存在意義や学校に求められることとは何かというと、私は「挑戦を一緒に取り組む仲間や、応援してくれる大人がいること」だと思っています。自分の行動を否定せずに応援してくれる人がいるのであれば、「自分も行動を起こしてみたい」と考える生徒は多いと思います。

近年は「今の若い子は諦めやすい」という大人の意見が多く見られますが、私はあまりそのようには思っていません。というのも、諦めやすい性格の子どもが増えているのではなく、諦めざるを得ない場面や環境が増えていたり、大人から「頑張りすぎなくていい」「無理しなくていい」と言われたりする中で、諦める以前に「できること以外最初からやらない」風潮が強まってきているのだと感じます。また、何かに夢中になって楽しそうにしている大人も私自身の子どものころに比べたら減ったように思います。高校生は失敗しても挽回できるし、諦めても別の道がある年齢です。子どもたちが何かをあきらめなくてもいいような環境を作りたいですし、そのためにも、学校では私が先頭に立ち、物事に挑戦しながら楽しく仕事をしている姿を見せていきたいと考えています。

そんな折、前校長が退任することになり、理事長との面談などを経て、赴任2年目の2021年4月、校長の職に就きました。福岡女子商業高校をより魅力ある学校にし、生徒や保護者の方、教職員はもちろん、地元の方や教育界の人に挑戦を促すきっかけを提供したいと考えたことが大きな要因です。校長になってからは、教科指導や小論文指導などこれまでの業務に加えて、「新しい制服を考えるプロジェクト」や「修学旅行を生徒自身が考えるプロジェクト」、「中学生に向けた広報活動」など、生徒が考えた企画の実現もサポートしています。

――そうした幅広いプロジェクトに代表される生徒たちの挑戦を支える上で、心がけていることはありますか。

一番意識しているのは、「言葉で伝えること」ですね。例えば、小論文指導で「文章を読んだ人が『なるほど』『確かにこの意見の通りだ』と納得できることが一番大事だよ」と伝えているのですが、これはどのプロジェクトにおいても通じますし、卒業後に大学生、そして社会人として生きていく上でも大切だということは常に話しています。

挑戦する子を後押しするときには、「周りの人が絶対止めるような物事に取り組むことで生まれる価値やインパクトがある」という言葉を掛けることもあります。普通のことを「やります」と周囲に話しても、「へえ、そうなんだ」で完結してしまいますが、意外性のあることほど周りは驚きますし、「本当に実現できるのか」と疑う人や、「絶対にできないよ」と批判する人が現れます。「人々が『できない』と思うアイデアを大事していこう」と話したり、「そのギャップをはねのけて実現したら、自分自身の考え方や周りの評価も変わるよね」と話したりして、背中を押してあげることが多いですね。

――どれも心が奮い立つような言葉ですね。柴山さんのような教員ではなく、保護者の方もご家庭で実践できそうだと感じます。

そうですね。保護者の方や周囲の大人たちは、子どもの挑戦を信じてあげることが第一に重要ですが、信じていると言葉で伝えてあげることも同じくらい大切です。

私自身が、大学受験やさまざまなプロジェクトに取り組む生徒の保護者の方々と接していて見聞きするのが、「あなた、本当にそのペースで大丈夫なの?」というような進捗確認の声掛けです。子どもの一世一代ともいえるチャレンジが心配なのは理解できるのですが、勉強やプロジェクトの進度を確認するのは学校・教員の役目です。役割分担が大事ですので、ご家庭では、「そういうことを頑張っているんだね」「応援しているからね」といった、プロセスを認める声を掛けると良いと思います。

また、大人は子どもの挑戦に対して、「失敗してほしくない」という気持ちを抱いてしまいやすいですが、その気持ちが後ろ向きに伝わっていないか、一度立ち止まって考えてみてほしいですね。「オリンピックで金メダルを獲りたい。そのために10時間練習する」と話している子どもに「怪我をしてほしくないし、銅メダルでも十分だから、そんなに練習しなくていいよ」と伝える場面を想像してみると、分かりやすいかもしれません。

実は、取り組んでいる子ども自身は、その物事の成功・失敗よりも「充実感を得たい」という気持ちが主軸になって行動していることが多いのです。オリンピックの例でいうと、本人に悔しい気持ちはあるかもしれませんが、メダルという結果よりも、10時間の練習に取り組んだことで得られたものや、大きな大会に出場できた喜びに満足感を得るケースが多いと思います。見守る立場になった場合は、心配しすぎず、そしてチャレンジャーの気持ちを決めつけないことが大切ですね。
<Reference>
挑戦する人を後押しするときに大事なことは、「言葉で伝えること」
①相手を鼓舞する言葉をかける
②信じている・応援していると伝える
③「失敗しないでほしい」気持ちは、言葉に出さないほうが良い
 

「5年で日本一の商業高校」を目指して、挑戦は続く


校舎入口に掲げられた学校スローガン「挑戦を、楽しめ。」

――さまざまなことに挑戦している柴山さんですが、今後チャレンジしていきたいことはありますか。

2021年に校長に就任した当初から、「5年で日本一の商業高校を作りたい」という目標を掲げて行動してきたため、まずはその目標達成に向けて、今後も改革を進めていきたいと考えています。

赴任当初、生徒たちに福岡女子商業高校に進学した理由を聞くと「家から一番近かったから」や「この学校しか合格しないと言われたから」という回答がほとんどでした。「このような生徒の回答を一つでも減らしたい」と思うようになり、小論文指導や教育改革に取り組んできたところ、近年は「なんでもできそうだから」「みんな楽しそうだから」という理由で進学してくれる生徒が大幅に増加しています。今後も前向きな理由で進学してくれる生徒を一層増やしていきたいですね。

また、世間の校長先生に対するイメージを変えることも、今後の挑戦として考えています。現在は、他校や企業を訪れて「校長の柴山です」と自己紹介をすると、10人中10人が「校長先生って、もっとおじいちゃんがやるものだと思っていた」と言われます。しかし、年齢を重ねなければ校長になれないという決まりはありませんし、若い人だからできる校長としての仕事は絶対にあるはずです。そのためにも、まずは私自身が福岡女子商業高校の校長としてさまざまなことに挑戦し、若手教員のキャリアの選択肢の一つになれればいいなと考えています。最近は元々企業に勤めていた方や、スポーツ選手だった方が校長を務める中学校・高校も増えましたし、全国でバラエティー豊かな学校が誕生すると、もっと日本の教育は面白くなるように思います。

私が常に考えているのは、「当事者として変革を起こすこと」です。チャレンジしてみたいことがあったときに行動をためらっていたり、周囲で巻き起こる出来事に対して文句を言ったりするのではなく、「まずは自分で動いてみる」ということが大事だと思っています。私が「新しいことに触れたい」と北海道から東京の東洋大学へ進学したように、多くの人に小さなことでもチャレンジしてほしいですし、もし周りでチャレンジしている人がいれば、力強い言葉とともにサポートしてほしいと考えています。
 

<関連コンテンツ>
『東洋大学報』272号―2023年12月発行
「Alumni Report-Special Interview OB・OG の今-福岡女子商業高等学校校長 柴山翔太」(P14-15)


 

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