東洋大学 社会学部社会福祉学科 教授
博士(法学)(九州大学)。専門分野は、社会福祉学、社会保障法学。1982年東京外国語大学フランス語学科卒業後、厚生省(現厚生労働省)入省。この間、九州大学法学部助教授、社会・援護局保護課長、年金局総務課長、参事官(社会保障担当)、内閣府大臣官房少子化・青少年対策審議官、中国四国厚生局長等を経て、2016年4月より現職。著書は『フランス社会保障法の権利構造』(信山社)、『社会保障法における連帯概念』(信山社)、『<概観>社会福祉・医療運営論』(信山社)など。
定年の延長が、自分と社会をつなぐ絆になる?日本の社会保障を支える「連帯」の理念
――まずは、先生のご専門についてお聞かせください。
社会保障法を中心に、社会福祉の法律や制度について研究しています。また「法人とは何か」ということにも関心があり、社会福祉法人の組織運営やマネジメントの授業も担当しています。ただ、元々私は厚生省(現・厚生労働省)で働いていて、20代の頃は、今こうして大学で教員をしているとは夢にも思っていませんでした。
――研究者になったきっかけは何だったのでしょうか。
入省2年目にフランスに研修で滞在し、社会保障について学んだことがきっかけです。特に強い関心を抱いたのが、社会的リスクを全国民の問題として捉える「国民連帯」という価値観でした。当時の私にとって非常に新鮮な考え方であり、その後の研究テーマの一つにも位置付けるようになりました。この価値観はフランスだけでなく日本の社会保障においても重要な概念であり、生存権がどのように社会保障制度に反映されているのかは、「連帯」という考えに基づいて考えれば理解しやすくなるのではないかと思います。
――日本の社会保障には「連帯」という考え方が息づいているのですね。
日本の社会保障には自助・共助・公助の側面がありますが、中でも社会保険では共助の考え方が強いです。また、社会福祉の世界には「共生社会」という概念があり、ヨーロッパの社会保障政策では、それに対応する「social cohesion(社会統合)」という言葉で浸透していますが、掘り起こしていくとこの言葉もまた「連帯」に紐づいてできているんです。
社会保険料も自分のためであると同時に、人のためでもありますよね。会社員として、働き続けられる期間が伸びるということは、収入を得て、保険料や税金を支払うことができるということ。それは、「健康で文化的な」生活を営む権利すなわち生存権を得る一方で、社会的な義務を果たしているということです。これにより、社会の「連帯」を支える一員として社会とつながることができるともいえるでしょう。
世界が注目する「高齢化先進国」日本。求められるのは、制度の変化?意識の変化?
――日本で高年齢者雇用安定法が改正されました。雇用関連の制度は海外諸国のほうが整っているイメージがあります。
どの国も日本と同様、いまだ高齢者雇用は重要な課題となっています。年金の話をすると、ヨーロッパでは納めた保険料を、その時の給付に充てる「賦課方式」をとることが多く、高齢化や退職者増加の影響が財政にストレートに反映されてしまうのです。
その現象を軽減するためにも、年齢を問わず、一人ひとりがしっかりと保険料を納められるよう雇用を促進する必要があるわけです。特に、ヨーロッパではまさに今、年齢や障害の有無によって差別をしないというEUの指令に基づき、年齢に関係なく働けるよう方向転換している状況です。
――なぜ、日本の高齢化対応が、海外からの注目を集めているのでしょうか。
世界各国が日本を注視しているのは、他国と比較し日本で高齢化がものすごい勢いで進んでいるからに他なりません。日本の高齢化はヨーロッパをはじめ、あらゆる国が経験したことのないスピードで進んでいます。また、それと同時に人口減少も加速しており、日本が雇用問題にどのように対処していくのか、社会保障をどのように維持していくのか、世界中から関心が寄せられています。
――世界が注目している日本の高齢者雇用ですが、私たちにメリットはあるのでしょうか。
70歳まで「働ける」と考えるのか、それとも「働かなくてはいけない」と考えるのかで、法改正の評価は大きく変わってきます。企業から見ても、労働をコストとして考えるのか、貴重な人財として扱うのかで全然違いますよね。ただ、イノベーションは苦難の局面にこそ起こるものだと思うので、今回の法改正も高齢化が進む今だからこそチャンスに変えると捉えた方がよいかもしれません。
こうした捉え方の違いは、日本と海外で大きく異なります。例えば今回のテーマでもある「定年」という言葉ですが、フランス語では「年金」という意味もあるんです。すなわち、海外では、「年金で生活ができる=退職」というポジティブなイメージがあるということ。それだけに見直しが難しく、フランスでは、制度間格差をなくす年金改革が暗礁に乗り上げています。日本の場合は違っていて、年金支給開始年齢でも働き続けたいというほど労働に意欲的な方が多くいらっしゃいます。今回の法改正はそういった日本ならではの考えに合致しているのかもしれません。
――確かに、どう捉えるかで意味が大きく変わるように思います。
また、高齢期をどのように考えるかでも大きく変わると思います。例えばフランスでは、高齢期を「第三の年代」と呼んでいます。この考え方は、高齢というネガティブなイメージを払拭しようとする意識が反映されているのではないでしょうか。
日本でも、かなり昔から高齢者の扱いは社会的な課題とされており、その捉え方も時代とともに変化してきました。1891年に穂積陳重(ほづみのぶしげ)が書いた『隠居論』では、人々の意識の変遷が示されています。1963年に制定された老人福祉法の第2条では、「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ豊富な知識と経験を有する者として敬愛される...ものとする。」と明記されています。「隠居論」も参考に考えると、この時代から高齢者を大切に思う意識が背景にあったことがわかりますね。
現在はさらに大きく意識が変化しました。例えば、高齢者介護に対する考え方です。昔は「親の面倒を見るのは子の務め」という考えが強かったですが、今では介護サービスを利用して社会の力を借りることが当たり前です。
――今回の法改正は、現代人の意識に応え、働き方の多様化が促進されそうですね。
まず、人生100年時代と言われるようになり、卒業後にすぐ入社して定年まで勤め上げるという人生設計は過去のものになりつつあるのかもしれません。例えば、22歳で入社して70歳まで勤務。ほぼ半世紀もの間、ずっと一つの会社に勤めるというのは、現実的なプランとは言えないでしょう。1世紀にもわたる長い人生をどのように過ごすかという長期的な視点が重要になります。
私が以前関係していたOECD(経済協力開発機構)には「Live longer, Work longer」という言葉がありますが、まさに日本も長く生き、長く働くという考え方にシフトしつつあります。副業や兼業という言葉が頻繁に使われるようになったことも踏まえると、確実に人々の意識や働き方は変化していますし、社会保障も常に時代を先取りしていく必要があるのだと思います。
これからは、自分の生きがいや仕事への姿勢、そして健康状態、いつまで働けるか、働きたいか。一人ひとりが、それぞれに合った働き方ができるようになっていくでしょう。高齢者に限らず、例えば、保育所というサービスの誕生は、女性の働き方に変化をもたらしました。社会保障が変わることで、多様性を認められる社会になっていくとも言えますね。定年法改正でも、60代後半の選択肢は、創業支援等措置など多様です。
働き方の多様化で日本の社会保障が直面する、新たな課題とは
――働き方の多様化に伴い、今後の社会保障はどのように変化していくと考えられますか。
雇用と社会保障は常にリンクしています。定年の延長に伴い、年金についても受給を開始する年齢をどうするか選択の幅が広がってきています。例えば、2020年の改正で75歳からの受給も可能となり、75歳に繰り下げた場合、年金が8割増になるように制度変更されました。
――なるほど、定年が延びることで良いことがあるということですね。しかし、やはり課題もあるのでしょうか。
まず、70歳まで働き続けることに対する気力や体力、健康や所得面での個人差が課題になると思います。さらに、個人的な問題だけではなく地域差についても考えなければいけません。地域によって高齢化の状況や公共サービス、インフラの整備度合いも違います。人口減少がまねく地域差に対応するためには「地域を残していく」という考え方が必要です。そのためには地域の消費を支える年金受給者も含めた人々が元気でないといけません。これは、地域社会によって成り立っている企業の問題でもあり、企業を挙げて健康経営、社会貢献などに取り組むことが求められています。
また、所得格差も課題です。社会保障は所得の事後的な再分配を担ってきましたが、むしろ「所得の事前配分」を通じて、所得の底上げを行うことも重要です。ワークライフバランス、高齢者の雇用や年金、生活保護や最低賃金等、多角的に関連付けながら対策を練っていくことが必要です。
――雇用に限らず、さまざまなライフスタイルに合わせて社会保障の在り方を考えていく必要がありそうですね。
基本的な考え方として、社会保障は多様な働き方や社会全体と中立な関係であるべきといえます。「70歳雇用」に限らず、もし今後社会が変化して人生二毛作や副業、兼業などのダブルワークが主流になってくると、当然のことながらこれらも制度にも取り込んでいく必要があります。
また労働や年金問題だけでなく、人々の暮らしと結び付けて全体観をもって考えることが重要です。日本には高齢化などの問題はありますが、社会保障という社会の基盤に支えられ持ちこたえている状況です。福祉や医療サービスは、地域の雇用創出の場でもあり、今後は地域社会の維持とサービスの関わり方を考える時代になってきていると思います。
制度を学び、信用することが人と社会の未来を拓く
――これからも高齢化が進む中で、社会保障の維持にはどのような政策が有効なのでしょうか。
すでに人口減少が始まり後戻りするのは難しい今、影響を緩和する「ミティゲーション」と、時代に合わせる「アダプテーション」という2つの考えのもとで舵を切る必要があります。例えば、ワークライフバランスや少子化対策はミティゲーションの一つですね。労働力の減少を、さまざまな制度でフォローする仕組みです。
そして、今回の法改正はまさに、高齢社会に合わせたアダプテーションです。減少が見込まれる労働力を、労働力から外すのではなく、長く労働力でいられるようにする仕組みと考えられます。高年齢者雇用安定法の改定は、社会の「連帯」を支える一員であり続けるための政策だと言えるでしょう。何か一つやれば解決するほど簡単な問題ではないので、いろいろな方法を試しながら時代に対応していくことが重要だと考えています。
――社会の一員として、制度を正しく知ることや、リテラシーも求められているように感じます。
時代に応じて社会が変化する中、制度への信頼維持が求められていると、私は考えています。仮に制度に対する信頼を失ってしまうと、社会に混乱が起こる可能性があります。例えば年金制度も、不安を煽るような情報も散見されますが、支払われないという事態はおきていません。いくら給付されるのか正しく理解することで、その状況からどのような手を打てるか、自分に合ったプランを計画できるわけです。
制度や仕組みを正しく理解するために必要なのが、社会保障教育です。例えばスウェーデンは社会保障教育をしっかりと行い国民全員が社会保障の将来像を明確にもつようになったことで、世界的に知られた福祉国家へと成長しました。私たちもそれに倣い、幼少期から社会保障について教育を行い、仕組みを正しく理解することが大切です。教養として、正しい知識を持つこと。それが日本社会の未来を保障する一手になると、私は信じています。