東洋大学 理工学部 電気電子情報工学科 教授
専門分野は電子回路工学、色彩工学。1983年東京理科大学理工学部電気工学科卒業。1985年東京理科大学理工学研究科修士課程修了。 株式会社日立製作所を経て、2005年、東洋大学理工学部電子情報工学科着任。
老眼や近視のメカニズムに着目!光の波長で見え方を改善
画像:東洋大学理工学部電気電子情報工学科教授、佐野勇司先生―先生の研究は、視力低下の理由や人間が物を見るメカニズムに着目したものだとお聞きしました。まずは、老眼を例にとってご説明いただけますか?
「老眼は、医学用語では『老視』と言いますが、加齢によって目の中のレンズが硬くなったり、ピントを調節する筋肉が衰えたりすることで起きる現象です。
私たちは、目の中のレンズに相当する水晶体の厚みを変化させることで、対象物にピントを合わせています。水晶体が硬くなると、レンズを厚くすることができなくなり、近くにピントが合わせられなくなります。
老眼の人は、遠くは見えるのに手元の細かい文字などが見えませんよね。老眼用の眼鏡である老眼鏡は近くにピントを合わせられない目に協力して、凸レンズでピントを合わせているのです。
近視の人は多くの場合、成長と共に眼球が奥に伸びるように変形していることが分かっています。そのため、近視では水晶体を薄くして離れたものを見ようとしても網膜の手前までにしか焦点が寄せられず、老眼とは逆に遠くのものにピントが合わなくなります。 これらの特性に配慮して、老眼でも近視でも見やすい照明を開発できないかと考えたことが研究の始まりです。」
画像:老視の仕組み
「光はその波長に応じて屈折率が変わります。簡単に言うと、赤い光のほうが曲がりにくく、青い光のほうが曲がりやすい。赤い光は長波長なので屈折率が小さく、青い光は短波長なので屈折率が大きいのです。
この光の波長特性を応用すれば、目に入ってくる光(入射光)の色によって、屈折率が変わり、ピントが合いやすい状態を作り出せるのではないかというのが当初の仮説でした。 近くの物体にピントが合わせづらくなる老眼であれば、屈折率の大きい短波長である青い光の成分を強くすれば、近くにピントを合わせやすくなります。遠くがぼやけて見える近視なら、屈折の小さい長波長光、赤い光の成分を強くした方が見えやすくなるという理屈です。」
画像:焦点の位置と色の関係性
―照明の光の色の成分をコントロールすることで、ピントが合わせやすい状態を作るということですね。
「人間の目には赤(RED)・緑(GREEN)・青(BLUE)の3色のセンサーがあり、テレビやパソコン、スマホのディスプレイなどもこの3色を混合することで様々な色を作っています。 照明の光で短波長の青、長波長の赤の成分の割合を変えれば、私たちの目のスクリーンとも言える網膜に映し出されたときに、はっきり、くっきり見えるようになるのです。」
―それがRGB色LED照明や、有機ELを使ったRGB、RY(黄)B色照明というわけですね。それぞれの波長を強めるというのは、照明の光の色味が変わったりするのでしょうか?
「既存のLED照明にも昼光色や昼白色、電球色など照明の色温度による違いがありますが、赤・緑・青の3色さえあれば、光の割合を変えるだけで自由に色が作れます。 現在発売されている『学習に向く照明』『リラックスできる照明』などは、どちらかと言うと色の持つ心理的作用に働きかけるものが多いのですが、私たちの研究では、色の持つ波長の特徴を生かして、物理的に人間の目に影響を与えることを目指しているのです。」
きっかけは自身の老眼。改善したいと思い、研究をスタート
―照明を変えれば老眼や近視の人でも見えやすくなるというのはすごいですね。そもそも先生がこの研究を始めようと思ったきっかけを教えてください。
「それが、自分の老眼がきっかけだったんです。45歳を過ぎた頃、自分に老眼の症状が出始めたんですね。そこで、歳をとれば多くの人が悩むことになる老眼をなんとかしたいと考えたのが始まりでした。」
―光の波長や照明に着目したのはなぜでしょう?
「私はもともとメーカーでブラウン管テレビやプラズマテレビの開発に携わっていたんです。そのときにRGB色の加色混合の仕組みや、人間の眼と光の関係性について研究・開発をしていました。 自分の老眼をなんとかしたいという想いと、こうした経験が結びついて、実験してみようと思ったんです。」
―実験を始めてみて、いかがでしたか?
「RGB色LED照明を作って実験を始めたら、今までの理論では考えつかなかったうれしい結果が先に出てしまいました。 実際に実験を重ねると、短波長の焦点が合いやすいはずの老眼が、長波長の光を増やしても焦点が合うようになりました。
逆に、長波長の光を増やした方が向上するはずの視力については、短波長の光を増やしても視力テストの結果が良くなるという現象が起きました。 近視の人を含めて誰でも、5%〜10%強、ランドルト環(視力検査で使われているアルファベットのCのようなマーク)を使った視力テストの結果が良くなったんです。また、老眼の人を含めて誰でも、ものを見る際にピント合わせできる最短の距離(近点距離)も5%〜10%強短くなりました。
この結果を踏まえて、各照明の光量や照射のムラの違いの影響を抑えて視力を正確に測定する装置を暗室内に作って、より厳密な実験でデータを取れるようになりました。全部手作りなので、試行錯誤の連続ですけどね。」
画像:佐野先生が使用している実験器具
―5%〜10%見えやすくなるというのは、老眼だけでなく近年増加傾向にあるという近視の人にとてもうれしい結果ですね。 今後の課題などはありますか?
「私もその効果に驚きました。 この照明によって既存の白熱電球・蛍光灯・LED照明のそれぞれと同じ色に見える照明光を再現すると、平均5~10%くらいは見え方が改善するという結果が得られました。統計的にも改善が確認できていますし、この10年間の毎年20名ほどの測定で毎回再現しています。
この実験で得られた結果から導き出されたことは、光の波長成分を集中させれば視覚が改善するということです。 老眼の人と近視の人の両方で見え方が改善する原因を調べるために、簡単な実験装置で網膜上に映る映像を模擬してみました。
その結果、照明光の波長成分を見やすい色に集中させたことによって、映像の輪郭部分が鮮鋭化して細かいところまで見分けられるようになる傾向があることが分かりました。
画像:昼白色LED電球との比較
今の試作照明ではそれほど大きな効果が得られているとは言えないと思いますが、目の問題は私たちみんなに関係のある話題なので、この理論を応用した製品の共同開発や構想も進めています。
これからの課題は、サンプルを増やして統計データを充実させること、それと、結果が先に出てしまった現象について、身体の構造なども加味しながら理論を構築し、因果関係を定量的に説明していくことです。」
―見え方や視力を改善できる照明は、いろいろな発展性があると思います。これから先どのような可能性があるとお考えですか?
「この照明では、自分の視力自体が改善するわけではありません。しかし、老眼や近視の見え方が改善するという結果が出ています。 光の波長成分を限定する今回の照明の新技術が進展すれば、老眼の人が手元の新聞や本の文字を楽に読めるようになったり、近視の人が通常の照明の下ではぼやけてしまう文字や物をよりはっきりと認識できるようになります。
特に、既に普及して技術向上の著しいLEDを用いたRGB色LED照明であれば、例えばベッドサイド照明やスポット照明としては現状でも実用性があると考えます。 また、蛍光灯に代わる面光源として期待されている有機EL照明は光に含まれる波長成分を豊かにできるので、食卓やお化粧用にも使える汎用照明として普及する可能性があります。
また、光の波長成分の割合を自由に調整するコントローラーを照明に設ければ、文字などがはっきり見える集中用の照明、ぼんやり見えるリラックスタイムの照明という使い分けができるようになります。夜間の車の運転中にはっきり見えるようなヘッドライトを作ることも可能でしょう。 さらに、光の屈折率の特徴を利用すれば、照明以外の様々な光学製品にも応用が可能であり、実は静かに共同研究も進めているところです。」