東洋大学 生命科学部生命科学科 助教
博士(農学)。専門分野は、解剖学、形態学。国立科学博物館動物研究部 脊椎動物研究グループ日本学術振興会特別研究員、筑波大学システム情報系研究員を経て、2021年より現職。キリンをはじめとする中・大型の哺乳類や鳥類の身体の構造について、解剖学の視点から研究に取り組んでいる。著書に『キリン解剖記』(ナツメ社)など。
動物好きが高じて研究の道へ。哺乳類や鳥類の首の骨の構造を追究
――先生が研究者を目指したきっかけ教えてください。
私は子どもの頃から動物が好きで、実家でも犬や小鳥、ハムスターを飼っていました。研究者になりたいと強く考えていたわけではなく、漠然と動物に関わる仕事がしたいという思いを抱き、東京大学理科二類へ進学しました。最初に研究の道へ進むことを意識したのは、大学入学直後に学内のシンポジウムに参加したのがきっかけです。シンポジウム終了後の懇親会で数名の先生と話をする中で、「動物、特にキリンが大好きで、キリンの研究をやってみたい」と初めて口にしたんです。先生から具体的なアドバイスをいただき、自分の将来が拓けた瞬間でした。
——その目標通り、大学院修了後は国立科学博物館や筑波大学で研究員をされたそうですが、当時はどのような研究に取り組んでおられたのでしょうか。
「鳥類の首」が主な研究テーマでした。哺乳類は、ヒトもキリンもクジラも首の骨の構造に大きな違いはなく、骨の数も全く同じです。しかし、鳥類は種によって骨の数が異なっており、少ない種では11個、多い種では25個と、とても多様性に富んでいるんです。なぜ哺乳類は保守的で、鳥類はそうではないのか、その謎は今も解明されていません。骨格標本を頼りに鳥の首の構造に光を当て、日々研究に励んでいました。
——キリンの研究もこの頃からスタートされたのですか。
いえ、キリンの研究は、大学院生時代にスタートしました。現在にいたるまで、継続的に取り組んでいます。手法としては、動物園などから献体していただいた遺体を解剖して、筋肉の付き方や骨の構造などを細かく記録し、得られた情報をもとにキリンの身体構造の進化に迫ります。キリンの解剖は年間で3頭ほど行っており、キリンの他にもライオンやゾウ、シマウマなどの大型動物を解剖することもあります。研究のために動物を殺すことは絶対にせず、寿命などの自然の流れに任せるため、研究計画を立てるのは大変です。
キリンの首の秘密?8個目の“首の骨”の役割とは
――キリンといえば、やはり首の長さが特徴的です。先生のこれまでの研究から、どのようなことが分かっているのでしょうか。
先ほど言ったように、哺乳類は首の骨(頸椎)の数が7個と決まっています。とはいえ、首が短くほとんど動かせない動物もいれば、キリンのようにダイナミックに動かせる動物もいる。それは一体どういう構造の違いが由来なのかを調べてきました。
背骨は身体の中心をまっすぐ貫く“柱”のような部位で、首や胸、腰など、部位ごとに名称が異なっています。首には「頸椎」という骨があり、その下には「胸椎」と呼ばれる骨が連なっています。胸椎には肋骨が付いていて、心臓や肺などの重要な器官を守るため硬い箱のような構造をしています。箱を安定した状態で保つため、胸椎の可動域は頸椎ほど大きくありません。ヒトであれば頸椎と胸椎の役割は明確に分かれているのですが、実はキリンの場合はそうではないことが分かりました。キリンは頸椎と胸椎の境界が曖昧で、一番上の胸椎が頸椎のような役割を担っていたのです。「8個目の“首の骨”」とでも言えばいいでしょうか。本来胴体を固定する胸椎の一部が、骨とその周りの筋肉の構造によって首の運動に関与することで、頭部が届く範囲は約50cm以上も拡張されます。
画像出典:東京大学「キリンの首は、もっと長い 解剖学的解析による、8番目の「首の骨」の発見」より
――首の可動域が広がると、キリンにとってどのような利点があるのですか。
キリンは首も足も長く、高い場所にある葉を食べるのに適した身体をしています。一方で、こうした体形は、低い位置にある水を飲むにはやや不利です。進化の過程で、本来は動かないはずの「胸の一部」が首のようによく動くようになり、高所も低所もカバーできる身体を手に入れたと考えています。
――その他に、キリンの身体の仕組みでユニークな点があれば教えてください。
ヒトとの大きな違いでは、胃や腸の仕組みが挙げられます。キリンには胃が4つあり、反芻という行動をとります。一度飲み込んだものを吐き戻して、再度咀嚼し、再び飲み込む、というものです。キリンの食事である葉はセルロースという炭水化物が主成分ですが、哺乳類はセルロースを分解する酵素を持っておらず、自力で消化することができません。では、どのように消化・吸収しているかというと、1つ目の胃に存在する微生物がキリンの代わりにセルロースを分解して、得られたエネルギーをキリンに分け与えています。微生物がキリンの胃の中で共生しているのです。通常ヒトが飲み込んだものを吐き戻すと胃酸により喉などに負担がかかりますが、キリンの1つ目の胃は胃酸が出ないので、吐き戻しても喉を痛めることはありません。キリンは、微生物がセルロースを分解しやすくなるように、反芻によって葉を細かくすりつぶしています。
――キリンは首が長い分、反芻にも時間がかかりそうですね。反芻をしなくてもいいように進化を遂げなかったのはどうしてでしょうか。
他の動物を捕食できるような身体を手に入れたり、消化器官の機能を向上させたりするには、かなり劇的な変化が必要です。これまでの進化の過程では難しかったのでしょう。
――なるほど。キリンは少しずつ身体の構造を進化させ、現在の姿になっているのですね。動物園を訪れた際、「ここを見てほしい」というポイントはありますか。
キリンの反芻は外から見ても分かりやすいので、動物園に行った際はぜひ首のあたりに注目して観察してみてください。あの2mほどもある長い首の中で、飲み込んだものが下まで降りていき、しばらく経つと口元まで上がっていく様子がはっきり見えて面白いと思います。
また、キリンは瞬きがとても少ない動物です。1分間に一度もしないことも珍しくありません。瞬きには、目に入ったゴミを外に出したり、目の表面全体に涙を運んで乾燥を防いだりする役割があります。しかしキリンの場合はまつ毛がとても長く、そもそも目の中にゴミが入りにくいです。さらに涙の量も多くて、常に涙目でドライアイとは無縁です。動物園でキリンを見つけたら、瞬きの回数を数え、他の動物と比較してみるのもいいですね。昼行性と夜行性の動物で違いはあるのか、それぞれの動物の瞬きにはどのような特徴があるのか。じっくり観察していると、思わぬ気づきが得られるかもしれませんよ。
キリンの解剖から得られた知見を、広く共有するために
――キリンの解剖は、どのような流れで行われているのですか。
私が行う作業には「解剖」と「解体」があります。「解剖」は遺体を切り開き、筋肉の付き方や動きを詳しく観察していくのですが、「解体」は骨格標本を作るために骨と肉をただ分けていくという作業です。動物園などから遺体を提供してもらい、解剖を行って身体の構造を観察したあと、解体して骨だけにしていくのが主な流れですね。
解剖・解体作業は国立科学博物館や、東京大学の総合研究博物館で行うことが多いです。博物館というオープンな場所のため、いろいろな立場の方がさまざまな疑問を抱いてやって来られます。興味の対象が私と同じだった場合は、共同で解剖・解体作業をすることもありますよ。これまでは、美大生や整体師、理学療法士の方などが解剖を見学されたことがありました。動物の身体の構造や、骨と筋肉の関係などを知りたかったようですね。私たち研究者が知見を独占するのではなく、広く学びの機会を提供することにつながってほしいと思っています。
――解剖から得た知見を、今後どのように活かしたいとお考えでしょうか。
研究成果を動物園などに還元し、キリンが長く健康に生きていける飼育環境の整備に寄与したいと考えています。動物園で生活しているキリンは、野生下の個体と比べて運動量が少ないため蹄が伸びやすく、放っておくと関節の病気を発症しやすくなります。キリンは体重が700~1,000kg近くあり、少しでも脚に問題を抱えていると、大きな負担がかかり立てない状態になってしまうのです。それがきっかけで死んでしまうことも少なくありません。
これまでの解剖の記録には、どのような環境で飼育されていたのか、その生活の中でどれだけ蹄が伸びていたのか、脚のどの部分に炎症を起こしてしまったか、脚以外に問題はなかったか、といったさまざまなデータが残されています。その記録や骨格標本に残された情報をもとに、キリンの身体の仕組みや行動についてより詳しく追究すれば、病気や怪我の予防や早期発見につなげられるかもしれません。キリンを愛する研究者として、進化の過程を解き明かすことはもちろん、人間の飼育下にあるキリンが少しでも幸せを感じて生活できるような方法を探っていきたいです。