東洋大学 理工学部生体医工学科 教授
博士(人間・環境学)。専門分野は、健康・スポーツ科学、応用健康科学、循環生理学。2009年4月より現職。2021年7月より、WEリーグ所属の「ちふれASエルフェン埼玉」の下部組織「ちふれASエルフェン埼玉マリ」のフィジカルコンディショニングコーチも務めている。
疲労や筋肉、呼吸などさまざまな体の機能と関係する脳循環
――初めに、先生の研究内容について教えてください。
学部生・大学院生の頃は心臓循環器疾患と筋組織特性の関係を専門に学んでいたのですが、卒業後はアメリカで血圧を調節する「圧受容器反射」に関する研究を始めました。圧受容器反射はイレギュラーな血圧の変動を補正する役割を担っており、組織に適切な血液量を供給するために重要な生理メカニズムです。特に、私が研究していたのは運動中の圧受容器を介した血圧調節機能についてでした。この研究の中で脳の血流について調べる機会があり、それがきっかけで脳循環機能の研究についても取り組んでいます。
――脳の循環とは、一体どのようなものなのでしょうか。
脳循環とは、一般的には脳における血液循環のことを指します。身体の末梢で血圧が変化したとき、圧受容器反射において、自律神経活動を介した血圧調整が行われます。しかし、脳は血管が弱く、血圧変動において細かな調整が求められるため、これら圧受容器反射等の末梢の血圧調節に加えて、より脳血流を一定に維持するための「脳自己調節機能」という脳の特異な機能を維持する生理システムが備わっています。この特別な機能によって、脳血流ができるだけ一定になるよう脳血管自体が血圧変動に対して応答(拡張・収縮)しています。過去には、無重力状態における脳血流の実験をしたこともあります。その他にも、脳循環と呼吸の相互関係や、運動中の筋代謝と脳機能との関連性を実験で確かめたこともあります。
最近は疲労に興味があり、身体の疲れによる自律神経活動や血圧調節機能への影響について深く調べてみたいと考えています。例えば、身体が疲れているときと平常時では、循環動態やその機能に違いはあるのか、といったことなどに注目しています。以前の研究では、心臓の収縮を抑える薬を飲んだ人と飲んでいない人を対象に、限界まで運動をさせたときの血流量や代謝量を比較したところ、薬を飲んだ人の方が少ない運動量で限界に達するため、脳への血流の量も当然少なくなりました。しかし、興味深いことに、脳のエネルギー代謝量は脳血流の量の違いがあるにもかかわらず、どちらの条件でも同じになったという結果が得られました。この結果から導き出されるのは、疲れているかどうか、疲労困憊しているかどうかを判断するのは身体(筋疲労)ではなく、むしろ脳である可能性があるということです。すなわち、身体と脳の相互関係において、脳が疲労感や運動の制御において中心的な役割を果たしている可能性を示唆しています。
運動が続かない理由は脳にあった? 継続への近道は「適応」にあり
――「疲れたな」と感じるときは、身体が重く感じたり、痛みやしびれを感じたりするようなイメージがありますが、「脳が体の疲労を決定する」とは具体的にどういったことなのでしょうか。
先ほどお話しした実験結果にもあったように、脳の疲労と体の疲労は必ずしも一致しません。同じ現象の身近な例として、トレーニングに慣れてくると疲れの感じ方が変わってくることが挙げられます。日頃全く運動していない人は、少し体を動かすとすぐに疲れてしまいますが、継続して運動し、身体が適応していくとその影響に関する脳の感覚が変わり、次第に楽に感じるようになっていくのです。
反対に、運動を始めてすぐの状態は脳がトレーニングに慣れていないため、きつく感じやすくなります。このメカニズムをうまく活用すれば、脳を「適応」させることで運動を継続することができるのです。そのため、毎日少しでも運動をすることが重要です。
私はちふれASエルフェン埼玉マリのトレーニングコーチを務めているのですが、チームの中高生たちには時々負荷の高い運動をさせることがあります。初めは「あのトレーニングはきついから嫌だ」と言っている選手でも、何度も繰り返すうちに最初の頃と比べて動きに慣れが生じ、疲れなくなってきたと言うようになります。こうした事象も、脳が運動に適応して疲労を判断しているといえる例の一つですね。
――確かに、毎日同じ運動をしていると、いつの間にか「しんどい」と思うことが減るように思います。継続するには脳を慣れさせることが大事とのことですが、脳を慣れさせるトレーニングなどはあるのでしょうか。
それを考えるために「テーパリング」と呼ばれる考え方を説明したいと思います。トレーニングをずっと続けていると、疲労から十分に回復できずにパフォーマンスが下がっていきますよね。その状態に陥ったときに、疲労を抜くための方法としてどのような行動が思い浮かべますか?
――トレーニングをしないことでしょうか? 休息日を設けて身体を休めると、疲労が消えるイメージがあるのですが……。
疲労から回復するのは休息するしかないのですが、完全に休息するとフィジカルも低下していきます。できるだけフィジカルを落とさないで疲労を軽減する方法がテーパリングで、過度なトレーニングは、疲労や過労を引き起こす可能性があるため、その状態を改善するために採用されます。例えば、スポーツ選手だと試合前のトレーニング法です。試合中に疲れていると困りますよね? また、一般の方でも休息して疲労はなくなったけど、トレーニングを再開した時、フィジカルが低下しているので同じ運動を行っても、以前より疲れて継続できないとなります。テーパリングの目的は、体力低下を最小限に抑えながら身体を休息させ、回復を促進することで、脳の疲労を起こさないためにも重要な概念です。
トレーニングの量を低下させるには3つの方法があり①運動強度②運動頻度③一回の運動時間のいずれかを軽減すればいいのですが、効果はそれぞれ異なります。先行研究では、運動強度を変えないで頻度や時間でトレーニング量を軽減した場合、フィジカルの低下が一番小さいことがわかっています。もし、運動を続けるのが難しい人は、脳や筋疲労が関連しているかもしれないので、トレーニング量を減らしてみてはどうでしょうか? この場合気を付けないといけないのは、運動効果を維持するために、強度を変えないで単純に運動する時間を短くしてみることがおすすめです。一方、運動始めたばかりで運動を長くできない人は運動時間でなく、少しずつ運動強度をあげていくという方法がいいかもしれません。
トレーニングの運動強度はできるだけ落とさないで、体調に合わせて一回の時間や週に取り組む日数を減らして、トレーニング量、結果として疲労(脳・筋疲労)を軽減しながら、運動効果を発揮できるような身体に整えていくことが運動継続につながると思います。
また、この考え方を踏まえると、トレーニング効果が得られる一番の方法は運動強度を上げることになります。トレーニングに取り組む時間や頻度を増やすのではなく、取り組む時間や頻度はそのままに、強度を上げることが、脳に適切な刺激を与える効果的なトレーニングにつながると考えられます。逆に、運動強度を下げると運動時間が長くなっても効果は低下する可能性があるとも言えます。
例えば、高齢者の方がよくウォーキングしていますが、強度を意識せずにただ歩いても運動効果は高くありません。もちろん歩くことで健康には近づいていくのですが、健康な身体を維持するためには筋力と体力をつけなければなりません。歩くだけでは刺激が低すぎるため、速度を上げて歩いたり、坂道を歩いたりするなど、身体に負荷がかかるような強度を意識することが重要です。
一方で、強度を上げた運動を継続するためには、脳の感じ方を変えないといけません。「生活習慣病にならない」「認知症予防になる」「健康体を維持できる」など、運動のメリットは周知されてはいるはずですが、強度に耐えられるだけの脳がないと継続できず、「今日はやめよう」となってしまいます。先ほどの話に戻りますが、まずは脳が慣れるだけの運動を続けることが重要です。運動を続け、脳を「適応」させた後に徐々に負荷を与えていき、より健康な身体を目指していくことが良いでしょう。
食べないダイエットは体のメカニズムに合致しない! 運動は健康な身体を作る「副作用のない薬」
――健康な身体を目指す人の中には、ダイエットを目的にしている人も多いと思います。運動とダイエットの関係性について、先生の考えをお聞かせください。
一日に必要な消費エネルギーは人によって決まっており、20代の女性だとおよそ2,000 kcalが相当します。ダイエットにおいて、多くの人が持ちやすいのが「摂取カロリーを減らせば良い」という思考です。一日の消費エネルギー量2,000kcalに対して、1,800kcalしか食べなければ、差分の200kcal分は痩せていく、という考え方ですね。
しかし、人間の体は長期間にわたって少ないエネルギーしか摂取しなかった場合、無限に痩せていくということはなく、基礎代謝に使うエネルギーを減らすように適応していきます。
極限環境で暮らす人や、不測の事態に遭難した人を想像してもらうと分かりやすいかもしれません。
ダイエットを意識するのであれば、食べる欲求を抑制するだけではなく、このような身体のメカニズムを知ることが肝心です。その上で、筋力を落とさないために、また痩せた後も健康な状態を維持できるように、運動習慣を身につけることが健康への一番の近道ではないかと思っています。
――ダイエットにおいても、運動を継続することが鍵になるのですね。
“Exercise is Medicine”、つまり運動は「副作用のない薬」と称されることがあります。例えば、動脈硬化の際に、体は脳に血を送るために自律神経活動のはたらきにより血圧が上昇しますが、他の臓器へのダメージを考慮すると、薬で血圧を低くする必要があります。しかしこの投薬治療は、脳への血流が不十分になる可能性があるため、認知症のリスクが高くなる危険性をはらんでいるのです。単純に運動して血圧を下げる方が投薬による脳への影響がないため、体にとって必ずプラスになるはずです。
人間が生まれながらにして持っている「適応」の機能や、先ほど述べた「テーパリング」の考え方を理解すると、健康増進やダイエットなどの目的に向かって“三日坊主にならない”運動ができると思いますよ。