東洋大学 経済学部経済学科 教授
修士(経済学)。専門分野は理論経済学。日本経済学会に所属し、マクロ経済学を中心に研究を行う。著書に『ベーシックマクロ経済学』(中央経済社)。
経済学=文系分野と考えるのは早計?経済学と数学の関係とは
――まずは児玉先生のご専門について教えてください。
私が研究対象としているのは、「景気循環理論」と「経済成長理論」という2大テーマに代表されるマクロ経済学です。景気はなぜ良くなったり悪くなったりするのか。物価はなぜ上がったり下がったりするのか。戦後に急成長しその後落ち込んでいった日本経済は、今後どのような道をたどるのか。経済活動を分析する際に、個々の企業や個人の活動から考察するミクロ経済学とは異なり、国や世界全体という視点から大掴みに経済現象を理解することを目指しています。
――経済学では、一般にどういった研究を行うのでしょうか。
経済学は大きく分けて「理論」「実証」「歴史」の3つの分野があります。私は理論経済学が専門ですから、経済現象を数理的にモデル化し、その現象が起こる背景や意味の理屈を考えています。中には、「人や物の数が無限に増え、個人の影響力がなくなると経済はどのように動くのか」「値段や量など、物ではなく考えや概念を選ぶこととして人間の活動を捉える」といった、経済を抽象化して捉えようとしている研究者もいます。
一方、統計や計量分析といった手法で、経済理論が現実に起こる現象をうまく説明できているかを検証するのが実証分野です。最近この分野ではよく耳にするビッグデータやデータサイエンスを活用した研究が増えているようです。そして、歴史分野では、その名が表す通り経済史から経済社会への理解を深めることを目指します。
――理論や実証では数学の知識が必要だということですね。
理論経済学の書籍に書かれているのはグラフと数式ばかりで、「全然お金の話じゃないよね」と言う人もいます。文系学部だと思って経済学部を志望した学生にとって、数式がずらりと並ぶミクロ経済学やマクロ経済学など理論分野の基礎科目の授業は衝撃でしょう。実証でも、数学の一分野である統計学から始めますから、初学者にとり状況は同様と思います。
現状はそうですが、経済学に数学の考え方が入ってきたのは19世紀後半頃で、それ以前は全て数式ではなく言葉で説明していたんです。経済学の父と呼ばれるアダム・スミスの著書『国富論』には数式が登場しませんし、社会主義経済を提唱したカール・マルクスの『資本論』では数式らしきものが登場しますが、小学生でも理解できる足し算・引き算のレベルです。そのように思想と言葉で発展してきた経済学に、徐々に「言葉は曖昧だ」「客観性のある数字で説明すべきだ」という考えが出てきた。そこで、経済学者たちは数学、特に物理学分野で使われている数学を取り入れていったんです。
――言葉が数学に置き換わったんですね。
そうです。「値が10上がった」と言葉で説明しても、どういう上がり方をしているか分かりづらい。数学に置き換えて数式やグラフで表すと、上り幅や上がり方など、誰が見ても同じ認識をすることができますよね。言葉よりも分かりやすく簡潔に説明できる手段を獲得したことで、数学的な考え方がじわじわと広がっていきました。「好き・嫌い」といった人間の感情など、言葉では説明しきれないファクターも、数学を使って記述できるようになったんです。
数学必須型入試方式の導入で何が変わったのか?
――経済学を学ぶ人にとって、やはり数学は重要なツールであるということですね。児玉先生ご自身はもともと数学が得意だったのですか?
高校では不得意でしたし、元々は歴史を勉強したくて入学しました。しかし、「経済学部なら数学を履修するのが当然」というオリエンテーションに従って深く考えずに履修した、というのが正直なところです。最初のうちは基本的な数学なのである程度理解できるのですが、だんだん分からなくなってくる。一方で、経済学における数学の重要性は理解できるようになるので、必死になって問題を解いていました。
――東洋大学の経済学部経済学科では、数学教育の充実化を図られてきました。そして、2011年度からは数学を使った入試方式を徐々に導入され、現在では一般選抜に占める数学必須方式による入学者は学科全体の7割にのぼると伺っています。そこに至るまでに、どのような議論があったのでしょうか。
私立大学の経済学部で入試方式に数学を加えるというのは、とても思い切った判断だったと思います。それが実現した背景の1つとして、本学科の教員に経済学の本質を理解するには「数理的な思考力・判断力が求められる」ため、「数学は絶対に必要」という共通認識のあったことが挙げられます。
経済学部が3学科に改組された2000年から経済学科のカリキュラムを作り、経済学を、そのために経済数学をしっかり学修できるための環境を構築してきました。一定の教育効果は得られましたが、その限界も見えました。原因を検討した結果、入学者の数学に関する知識やレベルをそろえる必要があり、そのためには入試制度を変えるしかない、という結論に至ったのです。
最初は一般選抜後期試験、センター試験利用入試で数学必須型を導入しました。志願者数の大幅減少も見られなかったので、一般選抜前期試験でも数学必須型の枠を徐々に拡大することに。2018年度から現行の入試制度に近い状態となり、現在は在学生の半数程度が入試で数学に取り組んだことになります。
――入試制度を変化させたことで、経済学科全体にはどのような影響がありましたか。
大学入試に向けて勉強をするというのは学生にとって大きな意味があるようです。経済学科では、入学直後に数学と英語のプレースメントテストを実施し、それに応じて語学や経済数学、問題演習科目のクラス分けを行います。その数学テストの学科全体の平均点は毎年上昇しており、入学者の質は下がっていないことが見て取れます。2年次以降が対象のより発展的な内容である「経済数学Ⅱ」を履修する学生の割合も、10年前と比較して3倍に増加しました。それと予想外の結果として、女子学生の比率も増えました。経済学は「社会科学」なので数学は得意でも理系学部を希望しなかった女子学生にも親近感をもって選択されているのだと考えています。
数学は経済学を学ぶ上で必要な「言語」
――お話を聞いていると、経済学を文系分野という枠組みだけで捉えていては、経済学の本質が見えないのではないかと思えてきました。経済学に興味がある高校生には、数学も忘れず頑張ってほしいですね。
そこが難しいところで、もちろん高校時代から数学に慣れ親しんでおくのは大切なのですが、高校の数学教育というのは物理や化学などの理科系科目のための数学という要素が強いです。方程式の解き方を教わり、ひたすら計算式を解いていく。例えば、x^2(xの2乗)の微分は2xだとすぐ答えられる。ある点においてその微分値がどういう値をとるかも導き出せる。ではその値が示す意味は?と尋ねると、とたんに答えられなくなる。微分値が0ならグラフの接線の傾きは0で、二次関数であれば、極大値もしくは極小値をとるのですが、頭の中でそこまで結び付けることができないケースが多いのです。
つまり、前半の計算はできるのですが、後半の「数理」の部分に対する理解が乏しいということです。経済学に必要なのは計算力ではなく数理的思考であり、数式やグラフが表す意味をくみ取る力といえます。それは現在の高校数学ではなかなか育めないものなのかもしれません。高校時代に数学の素養があったとしても、経済学を理解する上で必要な数理的思考力や応用力を備えているということには直結しないのです。
――確かに、数学ができる=計算が得意と思いがちです。経済学においては、実際の現象を数理的に解釈する力が重要ということですか。
あるいはこうも言えます。経済学の文献は、数学の概念を交えて数学的用語を使って書かれており、つまり数学というのは経済学研究に必要な言語であると。アルファベットの読み書きができるのと英単語の意味が理解できるのとでは全然違うのと同じで、数理が分からなければ経済学の文献を自分で解釈することができません。
――経済学は数学という言語で書き表されている……。経済学における数学の重要性を再認識できました。
経済学を学んだ人たちは、「経済学を通して物事を多面的に捉えられるようになった」と口をそろえて言います。経済学とはもともと多面的なアプローチを必要とする学問です。市場の仕組み1つとっても、需要側・供給側と少なくとも2面から見た上で結論を出しますよね。そこに数学的な考え方を取り入れると、より客観的・俯瞰的な視点が得られます。数学は表層にとらわれることなく経済現象の本質を追求するためのコンパスであり、経済学は理系分野・文系分野をつなぐ学問であると、数学を苦手な人にこそ認識してもらえればと思います。
――社会に出てから求められるスキルが、経済学を学ぶことで身に付くのですね。
経済の本質を理解し、さらに統計やデータサイエンスを活用して経済を分析し実証していく手法を身に付けられれば、政府や自治体、企業などの戦略的な意志決定に関わっていくことを期待できます。また、先ほど述べた「多面的なアプローチ」を繰り返すことで、先入観を持たず物事を総合的に見極める力が培われます。こうしたスキルを持った人材が、これからの現代社会ではとても重要視されることでしょう。