INTERVIEWEE
若林 正恭
WAKABAYASHI Masayasu
2001年 東洋大学文学部第2部国文学科[現・日本文学文化学科(第2部・イブニングコース)] 卒業
1978年生まれ。東京都出身。お笑いコンビ「オードリー」のツッコミを担当。2000年に春日俊彰とナイスミドルを結成し、後にオードリーに改名。2008年「M-1グランプリ」2位。現在、フジテレビ『潜在能力テスト』、関西テレビ・フジテレビ系『セブンルール』、テレビ朝日『激レアさんを連れてきた。』、日本テレビ『ヒルナンデス!』、ニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』などに出演中。2017年に発売した著書『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(KADOKAWA)では、第3回「斎藤茂太賞」を受賞。
物事を“ナナメ”に見ることに慣れていた
画像:若林正恭さん
―今回「ナナメの夕暮れ」をご出版された若林さんですが、この本はどのようなコンセプトで書かれたのでしょうか。
「『ナナメの夕暮れ』は、僕の視点で日常を切り取ったエッセイ集です。前々作の『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』(角川文庫)から共通しているのですが、社会への疑問や“大きすぎる自意識”から解放される過程で気がついたことなどをテーマに書き綴っています。」
―“大きすぎる自意識”ですか。
「『ナナメの夕暮れ』冒頭にも書いたのですが、僕は物心がついた頃から、シャツや学ランの第一ボタンを留める意味について考えすぎてしまうような、余計なことを考えすぎる子供でした。みんなが当たり前のように受け入れている物事に対しても『なぜだろう』と悩んで立ち止まってしまうんです。
東洋大学在学時代にも哲学の授業で、『飛んでいる矢は止まっている』というパラドックスに関してディスカッションしたことがあって――。『飛んでいる矢は止まっている。なぜなら、止まっている矢が連続して動いているから』だとか、『では、小刻みに区切った矢は、果たして止まっていると言えるのか』と議論が進むうちに我慢ができなくなって、思わず『人それぞれではいけないのですか?』と聞いてしまいました。授業が終わってから、教授に『哲学は人それぞれという前提があるものなのだから、その質問は反則だよ(笑)』と言われたのを今でも覚えています。
つまり、前提やルールを素直に受け入れることができない。物事を常に“ナナメ”から見て批判的になる、斜に構えることが普通だったんです。それは、他人へ向ける目線も同様で。だからその分、自分がどう見られているのかもすごく気になる。何事に対しても、『こんな趣味やめたほうがいいって言われるかも』とか『気取っていると思われるかも』なんて余計な自意識を爆発させていたんです。」
いつも普通の人の“10年遅れ”
画像:最新作のエッセイ集「ナナメの夕暮れ」―物事を“ナナメ”に見ることをやめようと思ったとのことですが、きっかけはあったのですか?
「大人になるにつれ、少しずつですが、自意識に行動を制限されることが『合理的ではない』と感じるようになってきたんです。余計なことを考えすぎて、色んなチャンスを棒に振ってしまっているのではないかと。
このことに気づき始めてからは、できる限り何事にもチャレンジしてみるようにしています。最近はキューバへひとり旅をしてみたり、これまで避けてきたゴルフを始めてみたり。スポーツバーへサッカー観戦にも行きました。
他人への否定的な目線は、結局自分に返ってきて、人生を楽しむ選択肢を奪うんですよね。今は、文化祭のステージではしゃいでいる人たちを体育館の隅から小馬鹿にしていた過去の自分を振り返って、『随分と損をしてきたなぁ』と思います。
あと最近は、もうひとつ転機がありました。社会システムについて学び直そうと、1年ほど前から家庭教師をお願いしているんです。それも24歳の男の子!(笑)。彼に何でも質問することで、『高度経済成長が実現したのはこんな社会システムが背景にあったからなんだな』とか、『この風習は、この時代の文化が影響しているんだな』とか、この歳になってやっと見えてきたものがたくさんあります。一見、無駄に思えたりするルールやしきたりにも意味があると分かりました。
長い下積み期間を経て、30歳にしてようやくお笑いの世界の表舞台に出た時もそうでしたが、僕はいつも普通の人の10年遅れくらいでようやく気づきが得られる人間なんですよ(笑)。」
―今回のエッセイ『ナナメの夕暮れ』はどんな方に読んでもらいたいですか?
「エッセイを書き始めた時は『自分のような人間はいないだろう』と思っていましたが、サイン会などで、『僕も同じことを思っていました』と打ち明けられることが度々あって。そんな時、僕もうおじさんだから(感動して心で)泣いちゃっているんですよね(笑)。
偏見かもしれませんが、僕と同じような“自意識の渦の中”にいる方は、イチローさんや羽生善治さんの人生観は次元が違いすぎて分からないと思うんです。柔道で例えたら、彼らは黒帯でしょう?(笑)。流行したアドラーの『嫌われる勇気』だって、いわば茶帯が黒帯になる本だと思っていて。
だから僕の場合は、『こういう方が合理的だよ』『人生、楽できるよ』くらいの温度感でエッセイを書いています。僕のように、“文化祭のステージに上がれずにいるような人たち”の背中を少しでも押すことができたら嬉しいですね。」
“ナナメ”を捨てた先にあるもの
自意識から生まれる“ナナメ”の視点を切り離し、“好き”、“肯定”という感情に素直になったことで、これまで触れてこなかった経験ができたという若林さん。『ナナメの夕暮れ』では、以前より“世界が好きになった”と明かしています。生き辛さの原因はもちろん人それぞれ。けれど『物事を純粋に楽しむことができない』と感じている方は、自意識の渦の中でもがきながら、自分自身を守ろうとしているのかもしれません。勇気を出してチャレンジしたからこそ見える景色は、人生に新たな色を与えてくれる――。若林さんは、その感動を素直に、そしてがむしゃらに伝えてくれているように感じました。