INTERVIEWEE
三遊亭 鬼丸
SANYUTEI ONIMARU
東洋大学経営学部経営学科卒業
落語家
1972年長野県生まれ。1996年 東洋大学経営学部経営学科卒業。1997年1月三遊亭圓歌に入門し同年5月、初高座を踏む。2010年真打に昇進し、2017年には芸歴20周年を迎えた。現在は、NACK5「ゴゴモンズ」でメインパーソナリティーを務めるなど、ラジオ・TVでも活躍中。
おしゃべり小僧が出会った落語の楽しさ
画像:三遊亭鬼丸さん――まず、鬼丸さんと落語の出会いを教えてください。
最初に落語に触れたのは、小学5年生のときです。図書館で落語の本を見つけて読んでみたら、これがおもしろくて。初めて本で大笑いしましたね。このとき「落語=おもしろいもの」ということが強烈に頭にインプットされたんです。
――本で落語を知ったのですね。印象に残っている話はありますか?
「花見酒」という話ですね。古典落語の中でもとりたてて有名な話というわけでもないのですが、なぜだか印象に残っています。飲んだくれ2人のナンセンスな話で……、未だに演じたことはないんですけどね(笑)。
花見酒~あらすじ~
酒のみは、どんなときでもしくじるもののようですな。 幼なじみの二人。 そろそろ向島の桜が満開という評判なので 「ひとつ花見に繰り出そうじゃねえか」 と、話がまとまった。
ところが、あいにく二人とも金がない。そこで兄貴分がオツなことを考えた。 横丁の酒屋の番頭に 灘の生一本を三升借り込んで花見の場所に行き、 小びしゃく一杯十銭で売る。
酒のみは、酒がなくなるとすぐにのみたくなるものなので、 みんな花見でへべれけになっているところに売りに行けば必ずさばける。もうけた金で改めて一杯やろう という、何のことはないのみ代稼ぎである。
そうと決まれば桜の散らないうちに と、二人は樽を差し担いで、向島までやって来る。
着いてみると、花見客で大にぎわい。 さあ商売だ という矢先、弟分は後棒で風下だから、 樽の酒の匂いがプーンとしてきて、もうたまらなくなった。
そこで、お互いの商売物なのでタダでもらったら悪いから、 兄貴、一杯売ってくれ と言いだして、十銭払ってグビリグビリ。 それを見ていた兄貴分ものみたくなり、 やっぱり十銭出してグイーッ。 俺ももう一杯、 じゃまた俺も、 それ一杯もう一杯 とやっているうちに、 三升の樽酒はきれいさっぱりなくなってしまった。二人はもうグデングデン。
「感心だねえ。このごった返している中を酒を売りにくるとは。 けれど、二人とも酔っぱらってるのはどうしたわけだろう」 「なーに、このくらいいい酒だというのを見せているのさ」 なにしろ、 おもしろい趣向だから買ってみよう ということで、客が寄ってくる。 ところが、肝心の酒が、 樽を斜めにしようが、どうしようが、まるっきり空。 「いけねえ兄貴、酒は全部売り切れちまった」 「えー、お気の毒さま。またどうぞ」 またどうぞも何もない。
客があきれて帰ってしまうと、 まだ酔っぱらっている二人、売り上げの勘定をしようと、 財布を樽の中にあけてみると、 チャリーンと音がして十銭銀貨一枚。 品物が三升売れちまって、 売り上げが十銭しかねえというのは? 「馬鹿野郎、考えてみれば当たり前だ。 あすこでオレが一杯、ちょっと行っててめえが一杯。 またあすこでオレが一杯買って、 またあすこでてめえが一杯買った。 十銭の銭が行ったり来たりしているうちに、 三升の酒をみんな二人でのんじまったんだあ」 「あ、そうか。そりゃムダがねえや」
――幼いころから、お話が好きなお子さんだったのですか?
そりゃあもう、相当なおしゃべり小僧でしたね!年子の弟がいるのですが、兄である私がしゃべりすぎるものだから、弟は自分がしゃべる必要はないと思っていたらしく、小学校に上がるまで全然自分で話さなくて……両親が心配したくらいです。
――現在の鬼丸さんのキャラクターは昔からご健在のようですね!幼いころから落語家になろうと決めていたのですか?
そんなことはありません。僕の故郷は長野県上田市というところで、当時は生の落語を見る機会もなかった。初めて生の落語を見たのは、大学2年生のとき。地方出身の友人と「せっかく東京にいるんだから、落語くらい見ておかなきゃなぁ」という話になって、「池袋演芸場」に行ったのです。
この時(約20年前)の落語界は低迷期と言われていて、100人以上入る寄席にお客は僕らを合わせてたったの6人。「どうしようもなくなったら、落語家にでもなるか―。」なんて思いながらぼーっと眺めていたのを覚えています。
今日一番おもしろい人の弟子になろうと思った
――ところが現在、どうしようもなくなったらなるはずの落語家になってご活躍中ですね。
大学を卒業して一度は東京で外食産業に就職したのですが、これが全く性に合っていなかった(笑)。結局9カ月で辞めてしまって、長野の実家に戻りました。仕事もせず、フラフラと生活をしている間も落語のことは常に頭にありました。
「落語家にでもなるか」とぼやいていると、見かねた両親から「そんなに落語家になりたいなら、早く誰かの弟子になりなさい。無理なら就職!」とキッパリ言われて。
――そうだったのですね。そこからどのようにして落語界に?
弟子入り志願をするために東京に戻り、新宿「末廣亭」へ落語を観に行きました。「今日一番おもしろい人の弟子になろう」と心に決めて――。そこで、その日トリを務めていたのが、僕の師匠であり、当時落語協会の理事長を務めていた「三遊亭圓歌」だったのです。 気持ちを手紙にしたため弟子入りを志願すると、なんと「明日からいらっしゃい」と言ってもらえました。
あとから分かったのですが、この時はちょうど兄弟子が1人抜けたタイミングだったようで、私が入門できたのはとてもラッキーでした。 昭和40年ころ、圓歌師匠は「歌奴」として一世を風靡し、テレビに出ない日はないほどの売れっ子だったんですが、そんなことさえ知らずに門を叩いたんですから(笑)。
――落語家としてのキャリアをスタートさせた当初、慣れない環境にご苦労があったのではないですか?
師匠の家に住み込む、いわゆる「内弟子」だったので、自分の時間がないというのが苦労と言えば苦労でした。入門してすぐは、稽古はもちろん師匠や兄弟子の身の回りの世話や雑用もすべて仕事のうちなので。
それでも、サラリーマン時代の苦労を思えば平気でした。なにせ「やりたいことを仕事にできているっていう充実感」がありましたから。やりたいことを仕事にできている人って、きっと1割もいないし、すごく幸せなことだと思うんです。初めて舞台に上がったときだって、感極まって「今日から俺の伝説が始まるんだ!」なんて思ったものですよ(笑)。
「人間の業」を隠さずに表現するのが落語の魅力
――2010年に真打※になられた鬼丸さんですが、どのくらいの演目をお持ちなのですか? ※寄席で最後に登場する最高の技量を表す落語家の身分。落語家は、前座、二つ目、真打の順に昇進する。
今は、だいたい120席くらいです。ただ僕ら落語家は、たくさんの演目を持っているからすごいということにはなりません。大切なのは、その落語が「自分だけの売り物」になっているか。ほかの落語家と差別化できないネタや、台本を覚えたものをただ話しているだけというのでは何席持っていたって意味がない。その物語をいかに表現するか。映画に例えれば、「監督、脚本、主演、全部自分でやっちゃうよ」というのが落語家なのです。
――「落語」は演者によって表現の幅がある、自由なものなのですね。
本当に自由です。「1人でしゃべれば全部落語」というくらいですから。落語と聞くと、どうしても「古典落語」を思い浮かべる人が多いと思いますが、最近では「新作落語」と呼ばれる現代の落語もどんどん生まれています。もちろん大掛かりな舞台セットもいらないし衣装替えの必要もない、しまいには動物やクラゲだって話し出す。すべてが自由で誰もがその身一つで表現できる、それが落語なのです。
――鬼丸さんが考える「落語の魅力」を教えてください。
立川談志師匠の言葉に「業の肯定」というのがあります。これは「いつの時代も変わらない人間の欲を受け入れる」ということです。例えば男性なら、女性にモテたい、おいしいお酒をたらふく飲みたい、楽をしてお金を儲けたい……これは多くの人の願望ですよね。落語はそういった感情を隠すことなく表現する。
今の時代は、手垢がついた表現がそこら中にはびこっていると思いませんか?本音を言うと叩かれてしまったり、余計なことを言わないように自分で制限をしたり。しかし、落語は「人の業」を隠さず、本音で生きている人たちのストーリー。その気楽さが魅力だと思います。
――鬼丸さんの「落語」にはどんな特徴がありますか?
「とにかく明るい」ですね!これは、生来の気質もあるけれど、「春風亭昇太」師匠の存在も大きいです。二つ目のころは、昇太師匠のマネをして袴で高座に上がってみたりしていたなぁ(笑)。 あとは「分かりやすい」。私はラジオのレギュラー番組を持っていて、それをきっかけに観に来てくれるお客さんも多いので、できる限り分かりやすい落語を心掛けています。 あと、なぜか酔っ払いがよく登場しますよ(笑)。
――それでは、ご一席賜りたいと思います。本日のご演目は「紙入」です。
笑いは「共感」。楽しみかたは人それぞれでいい
――落語が意外と身近なものであることが分かってきました。これから初めて落語を見るという方はどう楽しむのがいいのでしょうか?
よく落語の中に教訓めいたものを見ようとする方がいますよね。それはそれで落語の楽しみ方の一つだとは思いますが、私は、肩ひじを張らずに何気なく見ていただくのがいいのかなと思っています。落語は見る人の立場によって違ったものになるので。
――落語は、見る人によって感じ方が違うということですか?
そうです。例えば、親子の話。子どもがいない頃は何気なく見ていても、親になればどうしても親の目線で落語を切り取る。経営者なら経営者、サラリーマンならサラリーマン、それぞれ自分の置かれた立場の目線があるわけです。
だから、私は落語の中にそれぞれの「共感」を探せばいいと思うのです。その日たまたま見た落語が、今の自分の置かれている状況に似ていて「あ~分かる、分かる」と笑ったり、どうしようもない登場人物と自分を比べて、「落ちこんでいたけど、こいつよりはマシだな」と笑う。自分の感情に素直になって、面白いと感じたら笑う。笑いは「共感」だと思います。寄席ではたくさんの話が聞けるのでどうぞ構えずに「共感」を探しにいらしてください。
――「共感」ですか!たしかに、落語と聞いて難しいものと身構えていたかもしれません。落語は、日常の延長にあるものなのですね。
最近では、多くの小さな寄席も開催されるようになって、特別大きな寄席に行かなくても気軽に楽しめるようになりました。“二つ目”が稽古の一環で行っている「早朝寄席」や「深夜寄席」は500円で観られますよ。
寄席に行くと、分かりやすい落語をする人もいれば、分かりやすくはないんだけど高尚な芸をやるという人もいて本当にいろいろです。もし1回観て、面白くないなと思った方がいても、これだけは言っておきたい! 「落語が面白くなかったんじゃない。その落語家が面白くなかったんだ」と(笑)。 個人的には、3度くらい寄席に足を運んでもらえればだんだんと落語の面白さを感じることができると思いますので、ぜひ3回は来てください(笑)。
――落語家としての今後の抱負をお聞かせいただけますか?
僕が落語の門を叩いた約20年前と比べると、今は落語に興味を持つ方が増えてきたように思います。寄席でも若手落語家が20代の若者から人気があったり。 それでも、今は落語を観に来てくれる方たちも、これから仕事や育児が忙しくて一旦落語から離れるという時がくる。落語家は、そんな人たちがまた時間ができたときに、もう一度観に行こうと思ってもらえるような芸を持たなくてはいけない。
これは僕が常々思っていることなんですが、「ファンの方と一緒に年をとる」こと。つまり、一度掴んだ心をぎゅっと掴んで絶対に離さないような「枯れないセンス」を持ち続けていくということが大切だと思っています。これは、圓歌師匠が体現してくださった教えなんですけどね。
――ありがとうございました。最後に、普段から落語を観ていると、どういった良いことがあるのかを教えてもらいました。
まとめ
軽快な話術で常に周りを楽しませてくれる茶目っ気たっぷりな鬼丸さん。「落語が面白いということはとうの昔に知っていた――。」落語家になった本音をこうお答えになった時、その表情は落語家としての誇り、そして落語が持つ可能性への確信で溢れていました。 私たちが思うよりずっと身近にある庶民の娯楽「落語」。まだ観たことのないみなさんも、どうぞ構えずに、日がな一日を寄席で過ごしてみるのも乙(おつ)な選択かもしれません。