INDEX

  1. 劇場が安心できる居場所に。大学時代の、運命を変える出会い
  2. 人生のターニングポイントがあった20代
  3. 『ああ、こういうカッコいいことをやりたいな』。興味がなかった演劇にハマったきっかけ
  4. 生まれ変わったら俳優はやらない。でも…
  5. 柔らかく時を重ねる

INTERVIEWEE

池谷 のぶえ

IKETANI Nobue

本名:池谷 伸枝
1994年 東洋大学社会学部応用社会学科マスコミ学専攻[現 社会学部メディアコミュニケーション学科] 卒業
俳優

1971年生まれ。茨城県出身。1994年に演劇サークル『昏々睡々』のメンバーとともに、劇団「猫ニャー」(のちに「演劇弁当猫ニャー」)を旗揚げ、2004年の最後の10周年解散公演まで看板俳優としてすべての公演に参加。その後も数々の話題作品に出演。現在は舞台から映画、テレビドラマ、CMなどの映像作品まで、俳優として幅広く活躍する。

株式会社ダックスープ 池谷のぶえプロフィール
http://ducksoup.jp/actress/iketani.html
池谷のぶえ Twitter
https://twitter.com/iketaninobue

劇場が安心できる居場所に。大学時代の、運命を変える出会い


▲大学時代の池谷のぶえさん

―― 幅広くご活躍されている池谷さんですが、「俳優に向いてない」と思っていると伺い、驚きました。
「そうなんです。人前に出る仕事って特殊技能やおもしろさが必要だし、コミュニケーション能力も、野心も大事。実際、周囲を見まわしても情熱的な方が多い世界です。でも私は昔からあまり前へ出る性格ではないので、どうしても引け目を感じてしまうんです。『俳優になりたい!』と思ったこともなかったですし。流れにまかせていたら、ここまで来ていました。だからこの仕事に少しコンプレックスがあるんです。本当に俳優になるなんて、思ってもいませんでした……。」

―― どんなお仕事をされたかったんですか?
「高校時代からとにかく安定した仕事に就きたいと思っていました(笑)。事務作業が大好きなので、そうした会社に勤めようかなと考えていました。でも正直、あまりにも将来のイメージが漠然としていたからもう少し考える時間がほしくて大学に進学しました。大学でもやっぱりコツコツとした地味な作業が好きで、社会調査の授業でアンケート集計をするのがすっごく楽しかったんですよ!アンケートで集めたみんなの声が数字になって表れるのを見ると気持ちよかったですねぇ……。」

―― けれどその大学で、運命を変える出会いがあったわけですね。
「そうです。大学入学後『昏々睡々』という演劇サークルに入って活動していたのですが、あるとき、そこで出会った後輩が『卒業生を送るために公演をうつ』と言うので誘われて舞台に出てたんです。1回だけのつもりで参加したのですが、いつのまにか人気が出てそのまま続いちゃって。1994年に劇団『猫ニャー』を旗揚げ(のちに『演劇弁当猫ニャー』)し、無意味さから生まれる笑いなどをテーマにしたナンセンスコメディを上演していました。メンバーは後輩だったブルー&スカイ君(劇作家、演出家)、同じく俳優で後輩の小村裕次郎と私の女友達の4人。

実は、作・演出のブルー&スカイ君とはそれまでも、旗揚げ後もほとんど喋ったことがなかったんですよ。私にとってはサークルの後輩という認識だったので、仲間を介してブルー&スカイ君と話したくらいで、完全に伝言ゲームでした(笑)。それがまさか24年経った今でも同じ事務所に所属して芝居をしている未来が待っていたなんて!当時は私の人生のなかで彼がこんなに重きを置く人になるとは思っていなかったので、本当にびっくりです!世の中何が起こるかわからないですね。」

―― あいだに人を介して話していた方と、24年も一緒に仕事をする仲になるとは、想像もしていなかったでしょうね。
「今振り返ると、学生時代はいろいろな人と出会って未来の可能性を広げられる時間だったなと思います。間違いなく私にとっては人生を変える人たちに出会った分岐点になりました。このまま演劇を続けることなく会社に勤めていたら今の自分はありません。でもどっちが幸せだったのか(笑)。

大学は、将来どんな生き方をするのかまだ決めていない若者たちが多く集まる場所。何も持っていない状態ですから、自分のことすらよく知らなくてうまくコントロールできない。そんなまだ何者でもない時期に出会える人たちだからこそ、人生を変える出会いもあるのだと思います。そういうのって、大人になればなるほどなくなりますよね。大学の4年間というのは、本当に貴重な時間でした。」

―― 池谷さんは大学卒業後、一度就職されたとのことでしたね。
「はい。都市計画を作る会社に就職しました。いろいろな町や村に行って住民アンケートをとって報告書にする仕事でしたが、これが私の大好きな集計作業で!学生時代に学んだ統計を活かせることもあって、すごく楽しかったです。

そんな中で、演劇は私にとって慣れ親しんだ場所。今思えば、初めて社会に出て緊張していたので、ほっとできる場所を求めていたのかもしれません。会社と演劇の両方をやることで気持ちのバランスをとっていたのでしょう。 やはり自分の足場になるような場所があるということはとても大事なことです。私は安心できる場所、演劇があることにとても救われました。おそらく多くの演劇ファンにとっても、演劇や劇場は同じように、“安心できる居場所”だと思うんです。そこに来て、2〜3時間だけ日常を忘れてのめりこめる時間を得られる。同じ空間で、私もみなさんの楽しんでいる反応を感じられることがすごく嬉しくて、そんな演劇に心地よさを感じます。それが演劇の魅力でもあると思うんです。」
 

人生のターニングポイントがあった20代



―― 仕事と演劇を両立されてきたんですね。
「でも、人生うまくはいかないんですね(笑)。どんどん劇団の人気が出てくると同時に、会社が傾いてしまいまして。すごく好きなお仕事だったけれど、お給料をいただくのが厳しくなってきたので、辞めることにしました。そのときに『お給料がもらえないので辞めます』のひとことが言えなくて、『演劇がやりたいから辞めます』って嘘を言っちゃったんです。

退職後は、バイトしたり、再就職先を探しながら劇団を続けているうちに、商業演劇や映像のお仕事をいただくようになって、いつの間にかここまできていました。結果的には、その時ついた嘘のとおりになってしまい、人生は何が起こるか分からないと思いました(笑)。」

―― 職場の人の反応はどうだったんですか?
「会社の人は応援してくれていて、よく舞台を観に来てくれました。劇団の作風がナンセンスコメディという特殊な分野だったので『おもしろい』とは言ってくれなかったんですけれどね(笑)そういう私自身も、おもしろさが分からずにただ目の前のことに一生懸命に舞台へ立っていました。笑いがわかるような気がするのは、ここ10年くらいですね。でも当時はナンセンスコメディが人気だったので、どんどんお客さんが入るようになっていったんです。」 

―― ご家族の方も観に来られていたのですか?
「実は……父にはずっと演劇を反対されていたんです。学生時代はサークルだから仕方ないけれど、働きながら演劇をやることについては猛反対。私は『やっていない』と嘘をつきながらひそかに続けていました。私が28歳のときに父が亡くなりましたが、もう演劇をやっていることを隠す必要がなくなったって、新しい扉が開いた気がします。

ちょうどその頃から急に所属する劇団以外の舞台のお誘いもいただくようになって。気付かないうちに自分自身の気持ちにもいろいろな変化があったのかもしれないですね。それが俳優として飛躍する一番大きなターニングポイントでした。」
  

『ああ、こういうカッコいいことをやりたいな』。興味がなかった演劇にハマったきっかけ



―― そもそもなぜ演劇にハマったのでしょうか。きっかけを教えてください。
「最初は中学のとき、友達に誘われて演劇部に入ったんですね。正直、まったく興味はなかったのですが、舞台での大きな声を褒めてもらったことがものすごく嬉しくて、楽しくなりました。ずっと続けようと思っていたわけではないんですが、高校でもなんとなく慣れた場所が落ち着くなという理由で演劇部に入部。みんなで漫画や童話や、当時流行っていたコバルト文庫を持ち寄って、好きなシーンを演じていました。ただただ楽しかったですね。観たこともないのに、『演劇集団キャラメルボックス』みたいな、笑って泣けて感動できる舞台に憧れていました。」 

―― 演劇集団キャラメルボックスは、多くの中高生が憧れる劇団ですね。
「キャラメルボックスの公演は観たことがなかったけれど、なんとなく憧れをもっていました。でも演劇部の先輩は『夢の遊眠社』(主宰:野田秀樹)が好きだったので、その舞台を上演したりしていました。私は作品を観たことがなかったので、ワケもわからずやっていたんですけれど……まさか後に野田さんとお仕事でご一緒することになるとは、ちっとも思っていませんでしたね(笑)。

ただ仲間とお芝居ごっこをするのが楽しくて、どう評価されるかなんて考えもしなかった。半径十数メートルの舞台の世界だったけれど、いつの間にか私にとっては演劇が安心できる居場所になっていたんです。」

―― それで、東洋大学でも演劇サークルに?
「そうなんですけれど……中学高校の演劇部とまったく違うので、びっくりしました。まず、会場が完全暗転すること。演じるほうも観るほうも、真っ暗になった瞬間、日常が遮断される感覚になるのですが、その感覚を初めて体感したのが大学生のときで、何とも言えない、ものすごく感動した記憶があります。

一方で終演後の反省会は緊張しましたね……。『あなたの演技のこういうところがいけない』と指摘されて涙する子もいたり。生半可な気持ちでへらへら演技していちゃいけないんだ、大人の世界に来たんだと感じました。みんな真剣で、20歳前後でとんがっていたし、個性的な人が多く、強烈でしたね。」

―― 池谷さんも演劇にのめり込んでとんがっていたんですか?
「いえいえ、私はそんなことなかったです(笑)。お金がなかったから演劇もあまり観られなかったし、自己主張が強い性格でもないので、ついていくので精一杯。すごく記憶に残っている出来事がありまして、あるとき先輩に、『池谷さんの演技は眠くなるね』って言われたんです。『えっ、眠くなるって私の演技が単調だってこと?じゃあ目が覚めるようなことすればいいの?』と、舞台上で動いたり踊ったり派手なことをしたんです。今思えば恥ずかしい試みなんですけど、やっぱり悔しかったんですよね。でも結果的にそれが先輩にも、観客にも褒めてもらえてすごく嬉しかった。先輩には感謝です。

そして2年生のときに悪人会議『ふくすけ』を下北沢のザ・スズナリ(劇場)で観て、とても心を動かされました。『ああ、こういうカッコいいことをやってみたいんだ』と。ここから演劇への意識が少し変わっていきました。」
  

生まれ変わったら俳優はやらない。でも…


▲2019年1月から2月にかけて上演された、こまつ座『どうぶつ会議』の舞台より

―― 演劇を通じて、いろいろな出会いがあると思います。同じ東洋大学出身の演出家・前川知大さんとも何度かお仕事されていますね。
「2年前、初めて舞台でお仕事しました。題材はなんと、東洋大学の創立者・井上円了さんをモチーフにしたキャラクターが登場する『遠野物語』(出演:仲村トオル、瀬戸康史ほか)でした。共通の知り合いや箱根駅伝の話で盛り上がったりして、大人になると人ってこんなふうにつながっていくんだと思うことが増えますね。」

―― 舞台出演もですが、今や、映画、テレビ、CMなどいろいろな場所でご活躍されています。ご自身としてはやっぱり舞台がホームという感覚ですか?
「そうですね。舞台に上がると、細胞が活性化するのがわかるんです。お客さんが楽しんでくださっていることが伝わってくるのは、演じることの醍醐味ですね。それに、ずっと続けてきたものだから安心できる。きっと安定志向なんでしょうね……。でも、俳優は安定した世界じゃないから、“この仕事は向いてないんじゃないかな、居心地が良くないな”という不安も常にあります。」

―― 安定がお好きということは、たとえば、舞台上でのアドリブなどは苦手ですか?
「苦手ですね(笑)。劇団猫ニャーは台詞も間も変えない劇団だったし、最初に外部出演したKERA さん(ケラリーノ・サンドロヴィッチ/演出家)も細部までこだわられる方で、台詞だけでなくニュアンスも決まっていました。私自身も“間違えることはいけないこと” “失敗は絶対にしたくない”と思いがちな性格だったので、アドリブやエチュードは苦手なんです。」

―― なるほど、「演じること」と「アドリブ」は全く違いますよね。前者は、きちんと組み立てられた台詞を積み重ねて役を作っていく。後者は、その場の瞬発力によって自分の言葉で話す。一見アドリブが自由なように見えますが、台詞が決まっていたほうが自由になれることもあるだろうなと思いました。
「そうなんです!演技とアドリブって身体の違う部分を使っているような感覚ですね。最近はテレビなど映像のお仕事が増えましたが、映像は舞台よりアドリブに近いような気がします。舞台はみんなで何度も稽古を重ねてから本番を迎えるけれど、映像は自分で台詞を覚えて現場ですぐに本番。まるで舞台の立ち稽古の初日みたいな気分です。しかも笑わせるシーンでも、録音にスタッフの声が入ってはいけないからみんな笑い声をたてないし……これでいいのかな?と不安になります。まだまだ映像は緊張しますね(笑)。」

―― 今後やってみたいことはありますか?
「実は、悲しいくらいに欲がなくて……自分から率先してやりたいことがひとつもないんですよ。あえて挙げるなら、舞台の主役、かな。これも中心に立ちたいということではなくて、やったことがないのでどんな感覚なのかを経験してみたら、また違う目線で演劇が見えてくるかなと。 でも、やはり周りには『これをやりたい!』と積極的に強い意志を持った方が多いので、私は引け目を感じてばかりです。私はただ、私を選んでくださったお仕事に対してきちんと向き合いたい気持ちだけなので、どんなお仕事がいただけるのかいつもワクワクしています。」

―― もう一度人生をやりなおすとしたら、また俳優になりますか?
「たぶんやらないでしょうね(笑)。今だって、このままご縁をいただいてずっと続けられたらいいなとは思いますが、続けられなくなったらまた事務仕事がやりたい。毎日を繰り返し積み重ねる中で安定してブラッシュアップしていくことが居心地いいんです。

……あ、今思えば演劇の稽古も似ているかも。稽古では同じシーンを何度も繰り返して本番に向けて精度を高めていく。だから今も昔も、演劇がやめられないのかもしれませんね。」

―― アグレッシブな方が多いであろう演劇の世界で、池谷さんの柔らかさはむしろ際立つ個性のようにも感じます。本日は貴重なお話をしていただき、ありがとうございました。
  

柔らかく時を重ねる

「自信がない」「安定したい」……そう口にしながらも、卑屈さは微塵も感じない。終止おだやかな笑顔と素敵な声で、どんな質問にも「そうですね」「そうかもしれません」と一度ふわりと受け止める池谷さん。この懐の広さと柔軟性が、舞台でも活かされている気がします。相手の演技を受け止め、丁寧に返して、物語をつなげていく……そんな池谷さんだからこそ、多くの演出家や監督が「一緒に仕事をしたい」とオファーを重ね、今までの役者人生がつながっているのかもしれない……そんなふうに感じました。
   

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