INTERVIEWEE
長沼 亮三
NAGANUMA Ryozo
2002年 東洋大学 経営学部 経営学科 卒業
銭湯「寿湯」3代目店主。高校でボクシングをはじめ、元WBA世界ミドル級王者、村田諒太を筆頭に、数多くのプロボクサーを輩出する名門、東洋大学ボクシング部に所属。卒業後、プロライセンスを取得し、フライ級の選手としてプロのリングで戦った。引退後、兄が経営する薬師湯で修行。2017年3月から寿湯の経営を継ぎ、3代目店主に勤める。
■寿湯
https://kotobukiyu.jp//
取材・文=銭湯OLやすこ
銭湯好きが高じ、東京をはじめ全国(特に北海道・東北)の銭湯を訪れた記録や銭湯にまつわる活動を記したブログを運営中。銭湯に関するイベントの企画や運営、お手伝いも行う。現在、東京都浴場組合公認ライター、札幌銭湯公認ライターとしても活動中。
■ブログ
https://blog.goo.ne.jp/sentou-yasuko
■Twitter
https://twitter.com/sento_olyasuko
銭湯の朝
7時30分。寿湯の“仕込み”が慌ただしく始まる。脱衣所に入ると、浴場から「シュッシュッ」と小気味の良いブラシの音や、「ザバー」と湯で床を洗い流す音が賑やかに聞こえてきた。
黙々と開店の準備を進める社員やスタッフに声を掛けるのは、寿湯・経営者の長沼亮三さんだ。亮三さんは、ふたりの兄も銭湯を経営する、業界では知る人ぞ知る“長沼3兄弟”の末っ子。2017年に寿湯の経営を継ぎ、現在は3名の社員とスタッフの総勢23名とともに人気銭湯を営む。
3〜4名で一斉に行う朝の仕込みは、それぞれが持ち場を責任持って仕上げていく、まさにチームプレーだ。中でも驚かされたのは、ブラッシングの細やかさ。床も浴槽もカランも壁も、“掃除”というよりも、“磨き上げていく”イメージだ。時おり聞こえる「キュッキュッ」という音は、タイルやガラス戸を拭く音だった。
「タイルやガラスは、毎日、磨いているのですか?」と聞いてみる。
「はい。寿湯を開業したじいちゃんから“清潔・綺麗は基本”という思いを受け継いでいます。寿湯は昔から浴室がピカピカだって、お客様からも評判なんです。その期待には応え続けないといけませんから。」と、亮三さんは言う。
約3時間にわたって行われる仕込みを経て、複数のジェットバスや薬湯のある浴室、露天風呂、サウナのすべてが磨かれていく。
10時50分。仕込みの最後の仕上げとして、亮三さんとスタッフの間で朝礼が行われる。すでに外には、一番風呂を待つお客さんの列ができていた。
朝礼で亮三さんはスタッフと一緒に「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」と挨拶の復唱をする。その理由を、亮三さんは次のように教えてくれた。
「銭湯は、地域コミュニティの場。そして挨拶はお客様とのコミュニケーションが生まれるきっかけだと思っています。銭湯に来たら元気になって笑顔で帰ってほしいから、うちは挨拶をすごく大切にしているんです」。
開店と同時に来店されたお客さん一人ひとりと挨拶をしながら、常連客とは「今日は寒いねー」と、ひとことふたこと日常会話を交わす。一見さんも多いが、お客さんのほとんどは顔見知り。寿湯はここ台東区上野の日常に根付いているのだ。
ボクシングの練習後に、仲間と入る銭湯は格別だった
銭湯は幼少期の頃から身近なものだった。銭湯は、家の風呂のようなもの。祖父が複数軒の銭湯を経営する中で「いつかお前にも継がせる」と言われながら育った。ずっと銭湯が好きだったわけではない。一人暮らしを始める頃、「憧れのユニットバスに入れる!」と喜んだ時期もあったが、狭いユニットバスは三日で飽き、「やっぱり銭湯の広い湯に浸かりたい……」と思い直したという。以来、実家を離れてもなお銭湯に通い続けるようになった。
銭湯への愛情が深くなったのは大学時代だ。ボクシング部に所属していた亮三さんは練習後に銭湯に行き、仲間と汗を洗い流してどっぷりと湯に浸かる。ボクシングの練習の後に、仲間と入る銭湯は格別だった。そうしてハードなトレーニングで疲れた体を癒し、次の日のトレーニングに備えたのだ。銭湯通いは、トレーニングと同じくらい、重要なルーティンのひとつだったという。
画像:フロントに貼られているポスター。「元プロボクサー番台 長沼亮三」と紹介されている
大きな浴槽の熱い湯で身体を休める。その効果と大切さをあらためて実感したときから、銭湯愛がフツフツと湧いてきた。
さらに亮三さんを銭湯経営へと引き寄せたのは、先に銭湯経営をするふたりの兄の存在だ。長男の秀三さんは、スカイツリーのお膝元にあり、薬湯のバラエティの豊富さで人気の「薬師湯」を、次男の雄三さんは、鴬谷にある大型ビルの銭湯「萩の湯」をそれぞれ営む。そのふたりの兄の背を見ながら、ボクサーを引退後、まずは秀三さんが経営する薬師湯で修行。2017年3月に雄三さんが萩の湯をリニューアルオープンすると、亮三さんは寿湯を継いだ。
「実際、継いでみたら、あらためてふたりの兄のすごさを知りました」と亮三さん。寿湯の経営、サービス、営業の仕方は、すべて雄三さんが築いてきたもの。特にスタッフへの行き届いた指導や、きめ細やかな運営に驚かされたという。
他にはない、新しい試みにチャレンジする
画像:BEAMS銭湯のデザインをあしらった壁面のペンキ絵は、これまでのペンキ絵とはまた異なった斬新な印象だ今、銭湯業界は大きな転換期を迎えている。その中でも寿湯は、その変革の先頭を走る存在だ。
たとえば、古き良き銭湯の文化を後世にもつなげていこうと、東京浴場組合は若者に人気のセレクトショップ「BEAMS」と、石鹸の老舗企業とも言える「牛乳石鹸」とのコラボレーションイベントの拠点ともいえる「BEAMS銭湯」イベントを実施。合わせて限定グッズの制作・販売や、組合に加盟する約550店舗を結ぶスタンプラリーを実施する等、より盛り上げる工夫もこころみた。
さらに寿湯ではBEAMSのアパレルデザインを手がける長場雄氏デザインのオリジナル壁画(ペンキ絵師・田中みずきさん)を描いたり、「牛乳石鹼赤箱の湯」といったオリジナル薬湯を用意したりするなど、積極的に新しい試みにチャレンジし、話題を集めた。
ほかにも、近所の蕎麦屋とのコラボレーションで蕎麦の浸け出汁の素を露天風呂に入れる、「蕎麦つゆ風呂」というユニークなイベントも開催した。蕎麦屋と寿湯の両方の常連が蕎麦屋で盛り上がった話がきっかけとなり、風呂から上がったお客さんには蕎麦屋の店主から試飲つゆも振る舞われた。その奇想天外なアイデアを亮三さんが実行に移したところ、イベントは大好評だったという。こうした地域を巻き込んだ愉快なイベントを、寿湯では毎月1、2回開催し続けている。
また、亮三さんが力を入れているのが壁新聞「ことぶきゆだより」だ。イベントの告知なども含めて、時事ネタを中心に肩肘張らない内容は、まるでフロントで亮三さんとおしゃべりをしているような親しみを感じられる内容となっている。
なぜ、銭湯に“楽しさ”を追求するのだろうか。
「目的は大きくふたつあります。ひとつは、常連さんに楽しんでもらいたいから。いつも同じだとつまらないので、1カ月に1、2回くらいはいつもとは異なる、1日限定の日替わり湯をやっています。
もうひとつの目的は、銭湯に来たことがない方などのために、まずは1度来てもらうきっかけをつくることです。寿湯では露天風呂、白湯、薬湯の3種類の湯が楽しめます。1回でも銭湯に来てもらえれば、また次にも来てもらえる可能性につながるので、何か楽しんでもらえることをやろうと思って、いろいろなイベントを企画しています。」
画像:取材当日は、なんと“チョコレート風呂”の日。こうした1日限定日替わり湯を特別に月1〜2回開催し、薬湯は毎日入れ替えて常連客をもてなす
銭湯は、気持ちよく、疲れが取れてリフレッシュできる場所。それに「何か楽しそう」というワクワク感を持ってもらうことで、新しい銭湯の楽しみ方をも提供する。「寿湯に行けば、何か新しい発見がある。なんだかおもしろそうだから行ってみよう!と、楽しみながら来てもらいたい」。そう亮三さんは語る。
日常の中に時々こうした特別な非日常があることで、常連さんとも一見さんとも、その絆はさらに深くなるのだろう。
偉大なる兄の存在
画像:寿湯の創業は昭和27年(1952年)。祖父、三郎さんが昭和34年(1959年)に買い取り、長沼家による経営がスタートした「まずは、現状をキープすること。今、来ていただいている常連さんを大切にしたい」
亮三さんに今後の展望を伺うと、そう答えた。
昨年、耐震工事で休業した後、お客さんの数が減ってしまったことがあった。行きつけの銭湯が休業すると、銭湯に行く習慣そのものをやめてしまう人も多かったという。亮三さんにとって銭湯経営の難しさを痛感する出来事となった。
家風呂が普及した昨今、銭湯にどのような付加価値を見出してもらうのか。家風呂にはなくて、銭湯にあるもの。その答えを模索している中でたどり着いたのが、今の寿湯だ。毎日のお客さんとの気持ちのいいコミュニケーションをはじめ、広くてきれいな浴室に、家風呂では決して味わえない、ちょっとした驚きが体験できる。亮三さんならではのアイデアを加えながらも、その代々受け継いできた寿湯の魅力をこれからも大切にしていきたいと亮三さんはいう。
いま、銭湯業界は深刻化する後継者問題に直面している。寿湯も加盟する東京都浴場組合では、若者の銭湯後継者の育成を目指した講座を開催するなど対策に取り組んでいるが、銭湯経営はノウハウにばらつきがあり、新たに銭湯経営をしたい人がいても容易にできるものではない。
朝から晩までやることは途絶えることがなく、豊富な知識と地道な作業の上に、銭湯経営は成り立っている。
亮三さんは、銭湯経営の難しさや、現状の課題を知れば知るほど、兄弟の偉大さを実感するという。電気工事士の資格を持つ雄三さんからは設備の修繕の仕方を教わったり、秀三さんとは頻繁に情報交換をして共同で企画をたてたりする。銭湯経営は、決して楽な仕事ではなく、それなりの覚悟がないと続けられない。だから「あまりお勧めできない」と笑う。そして「せっかく銭湯経営を始めても、途中でやめてしまうと一番困るのは、お客様なんです」と続けた。
その大変さを知っているからこそ、時代の波にもまれながらも現在につなぎ、これからの銭湯文化を築こうとする祖父や兄たちを、亮三さんは心からリスペクトするのだ。
「これまで寿湯の歴史をつくってきた人、祖父母、両親、兄に本当に感謝しています。あ、あと妻にも感謝です。妻はアパレルのエリアマネージャーをやっていたから、どうすればお客様を喜ばせたり、呼び込んだりすることができるのかを知っている。アパレルと銭湯では全然畑が違うようだけど、そのアドバイスがすごく参考になることが多いんです。みんなに助けられている。ひとりだったら、できないなと思っています。」
長沼亮三の野望
画像:銭湯の家族経営が多いのは、その苦労や大変さを知る人が継ぐことが多いため。今の寿湯があるのも家族のおかげだと亮三さんは言うそんな亮三さんだが、ひそかに壮大な野望も抱いている。寿湯の海外進出だ。
もちろん、その道のりが決して平坦であるはずがないことなど十分に理解している。実現に向けては膨大な時間も労力もかかり、さまざまな困難があるはずだ。しかし、そこは大学時代の体験が力になると信じている。
「もちろん、そう簡単に叶えられることではないことはわかっています。けれどボクシングのおかげで、忍耐力はかなり鍛えられましたからね。学生時代のボクシングの練習に比べれば、大抵のことは我慢できるので(笑)。実現できるかはまったくわからないけれど、いつか挑戦してみようと思っています」。
亮三さんは「花が咲くどころかつぼみにもならず」と言うが、大学卒業後には悲願のプロボクサーになり夢を叶えた。
一方、銭湯経営者としては「まだまだあまちゃんで、勉強しなくてはいけないこと、覚えなくてはいけないことがたくさんある」という。銭湯経営は大変だ。だからこそ家族のサポートが愛おしく、毎日が充実しているという。そして日々の現実と向き合いながら、またひとつ大きな夢を目指すのだ。